KCC設立の背景を理解するには、「インド・チャイニーズ(インド中華)」という独自の食文化を知る必要がある。
その起源は意外にも古く、18世紀後半にさかのぼる。中国からコルカタ(旧カルカッタ)に移住した人々が持ち込んだ中華料理の技法を、現地の食材やスパイスと融合させたのが始まりだ。
唐辛子やガラムマサラをふんだんに使った濃厚でパンチの効いた味わいは、本場中国の中華料理とは全く異なる進化を遂げた。代表的な料理「チキンマンチュリアン」——揚げた鶏肉に甘辛いソースを絡めた一品——は、今やインド人なら誰もが知る国民食だ。
注目すべきはその裾野の広さである。ショッピングモールのカジュアルなチェーン店から高級ホテルのレストランまで、ムンバイ、ニューデリーといった大都市圏はもとよりインド全土に広く展開している。
若者がビール片手に楽しむファストフード的な店もあれば、接待に使われる格式ある店もある。ベジタリアンが多いインドの食文化を反映し、野菜を主役にしたメニューも豊富に揃う。インド中華は一時的なトレンドではなく、インドの食文化そのものを象徴する一大カテゴリーなのである。
醤油を「狭い部屋」に閉じ込めないために
キッコーマンがインドで本格的にマーケティングを開始したのは21年2月。まずはレストランのシェフに醤油を使ってもらうBtoB市場から参入。残された巨大市場の一つであり、中長期的な視点で市場開拓に取り組んできた。
ここでキッコーマンが下した判断が興味深い。日本食の普及ではなく、インド中華という巨大なフュージョン料理カテゴリーを主戦場に選んだのだ。
理由は明快である。インドにおける日本食レストランの数は極めて限られている。「キッコーマン=寿司・刺身の醤油」というイメージに縛られてしまえば、マーケットは極小の部屋に閉じ込められてしまい、大きく広がりようがない。
一方、インド中華は全土に浸透した巨大市場。醤油はその調理に日常的に使われる不可欠な調味料だ。自社の商品を「正しく」売り込むのではなく、現地で最も大きな機会がどこにあるかを見極め、そこに自らを位置づけ直す——この戦略的な発想の転換こそが、KCC設立の原動力となった。
実は、こうした戦略はキッコーマンにとって初めてではない。
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【アメリカではバーベキュー文化に着目】
