1、2、さぁん!元《世界のナベアツ》、56歳彼の"意外な現在地" 「一発屋」として駆け抜けた…転身後の"次なる夢"は

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ーーブレイク後、生活は一変したのでは。

そうですね。仕事も生活も収入面も大きく変わりました。でも、いちばん思ったのは、全国どこに行っても老若男女問わず、さまざまな方に知っていただいて、一発当てるってすごいということ。

そして、何よりもこのチャンスを逃したらいけないって強く思って。ピンで世に出られたけど、コンビで出るにはどうすればいいか、そればかり考えていました。

コンビで売れたかったけどダメだった

世界のナベアツ
世界のナベアツで一発当てたときは30代後半だった(写真:吉本興業)

ーーピン芸人として一気に階段を駆け上がったときの気持ちは?

まず、デビュー当初の1990年代はコンビで順調でしたが、地に足がつかずフワフワしている自分を感じていました。

コンビを解散後、もっといい芸人になるために放送作家を経験して、その後にピンで成功することができました。ナベアツの頃は、放送作家を経たことで以前よりは芸人として地に足がついていて。選んだ道は間違っていなかったと思いました。

ーー世界のナベアツ時代は、コンビについてどう考えていましたか。

思いもよらず一発当てたときは30代後半で、自分で仕事をコントロールできる立場だったんですけど、ピン芸人として少しでもメディアで長く生き残るために調整するよりも、一発屋で駆け抜けて、できるだけ上まで上り詰め、コンビを引っ張っていこうと決断しました。

しかし、最初の解散から再結成まで空白の5年があり、それは想像していたよりも長くて。僕と相方の歯車は噛み合わないようになっていたんです。なので、結局ダメでした。

そんな頃に、最初の解散時、もうひとつの選択肢だった落語家の道を選びたい気持ちがどんどん膨らんでいきました。自分の勘を信じて放送作家になってよかった。じゃあ、あの時に浮かんだ落語家になればもっといい芸人になれる、もっと地に足がつくようになる、と思いました。

1年半くらい悩んで、師匠の桂文枝に弟子入りを志願しました。そのためにコンビを再解散する必要があり、相方には申し訳ないまま終わりました。

桂三度
桂文枝さんに弟子入りして落語家デビューを果たした(写真:吉本興業)
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