博物館に並ぶ「略奪品」は誰のものか…帝国時代の展示品の返還に消極的な理由
時にはペットでさえ安全ではなかった。1860年、イギリスが清に侵攻し円明園を焼き払った時、イギリスの士官たちはペキニーズ犬を見つけ、ヴィクトリア女王への贈り物として持ち帰ることにした。信じられないかもしれないが、彼らはその犬にルーティ(Looty[戦利品])という名をつけた。
誠実な人々も中にはいたが…
こうした話を聞くと、当時略奪が容認されていたように思うかもしれないが、必ずしもそうではなかった。イギリスの一般市民や政治家、時には王室のメンバーさえ、略奪には反対していた。しかし、こうした行為を禁止する国際法が導入されても、略奪は続いた。イギリス兵はしばしば、品物を正当に購入した、あるいは現地の住民から贈られたのだと主張した。時にそれは事実だったこともある。大英帝国のために働く誠実な人々もいたし、植民者と被植民者の間に友情が生まれることもあった。しかし多くの場合、こうした「公正な取引」の主張は、意図的に全体のいきさつを語らないようにしていた。
例えば、学校にあなたが怖がっている人がいると想像してほしい。その人は意地悪をしたり(あるいは悪いグループとつるんでいたり)、怒りっぽいことで知られているかもしれない。その人物が、あなたのPS5やペットのウサギ、あるいは一番大切にしているポケモンカードを、たった50円で売るよう頼んだと想像してほしい。実際には脅したり傷つけられたりしなくても、あなたは断れない圧力を感じて、要求されたものを渡してしまうかもしれない。
つまり彼らは「公正な取引で手に入れた」と主張するかもしれないが実際にはまったく公正ではなかっただろう。帝国時代にもこういうことが時々起こった。また、イギリス兵士が現地の人に「貴重な品をくれたら引き換えに何かをあげる」と約束しながら、簡単に破ることもあった。
帝国の時代が終わり、イギリスがこれらの略奪品を手に入れる際に不公正で、しばしば暴力的な手段を使っていたことが明らかになった今日、旧植民地の多くの人々が自分たちの品々を取り戻したいと考えるのも当然だろう。しかし、イギリスは返還に消極的だ。なぜだろうか? それは良い質問だ! しかし、その答えが簡単ではないと聞いても、あなたはもう驚かないだろう。



















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