博物館に並ぶ「略奪品」は誰のものか…帝国時代の展示品の返還に消極的な理由

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イギリス人が他人の所有物を奪った背景には、さまざまな理由があった。

1.単純な強欲

2.好奇心

略奪された品の中には、極めて価値の高いものもあった。一例が、マクダラの王冠(Maqdala Crown)だ。この黄金の冠は、1740年代にエチオピアのメンテワブ皇太后が作らせた驚くべき職人技の作品だが、1868年にイギリスがエチオピアを侵略した際に略奪された。

当時の首相ウィリアム・グラッドストンは、この王冠が略奪されたと聞いてショックを受けた。彼は下院で、品々が「イギリス軍によって持ち去るに値すると考えられたこと」に深い悲しみを覚えると述べた。そして「返還されるまで一時的に保管されるべきだ」と訴えた。だが、この王冠はロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で150年以上も展示され続けている。

チベットにも侵攻

1903年、イギリスはチベットに侵攻した。イギリス軍は最大で3千人のチベット人を殺害し、数多くの貴重な宗教的工芸品、書籍、写本を略奪した。これは主に、チベットについてより深く知りたかったためだ。1792年以来、チベットはヨーロッパ人の入域を禁止しており、首都ラサに潜入できたイギリス人はたった一人しかいなかった。地球上で最後まで地図に載っていなかった場所の一つとして、チベットは探検家たちの究極の目的地だった。多くの点で、チベットの神秘性は現代の北朝鮮に少し似ていて、西側諸国からの訪問者をほとんど受け入れない国だった。

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