たとえば、自分が持っているおもちゃを「貸して」と言われたら、貸してもいいですし、「ノー、今はまだ使っているから後でね」と言ってもいい。「イエスだけど、ちょっと使ったらまた返してね」でもいい。「イエス」であっても「ノー」であっても構わないと教えるそうです。
シェアすることは大切なことだけれども、「いつでもシェアしなさい」ではなく、「自分が使っているものを気が済むまで使っていい」「誰かに貸しても自分が必要なときには返してもらえる」と思える安心感が何よりも必要。安心感、信頼感がベースにあると、快くシェアできるようになる。
逆に、「自分が使っているものが誰かに取られてしまうかもしれない」という不安が先行してしまうと、友だちとのシェアが難しくなるとおっしゃっていました。
そして、「ノー」と言われた側に対しても、「ノー」と言われてもいいと教えていました。
「ノー」と言われることは傷つくし悲しいけれども、自分が否定されたわけではない。「そういうこともある」と受け入れる。
少し待ってみて、また違う機会にもう一度聞いてみてもいいし、違う子と遊びに行くなど、方向転換して前進することも大切。「ノー」を言うことと、「ノー」を受け入れる練習がセットになっていることで、初めて同意教育が意味あるものとなっているのです。
「ノー」を受け入れる練習の必要性
日本では「積極的に意見を言えるようにならなければならない」「もっとディベートの授業が必要だ」「日本人はノーと言えるようにならなければならない」ということがよく語られています。
それは間違いではないと思いますが、自分の意見を積極的に言い、また「ノー」と言えるようになるには、「ノー」が受け入れられる土壌がなければ難しいのではないでしょうか。
「ノー」と返答したのに、「いや、でも、一緒に遊んであげなさいよ」「そんなこと言わないで貸してあげなさいよ」と、「ノー」を「イエス」に変えさせられることばかり幼い頃から経験していたら、自分の「ノー」という言葉の効力に自信が持てなくなってしまいます。
これでは「ノー」と言えるようになるわけがありません。自分の思いや答えは意味を持たないのだから、意思を表明しようという気持ちすら湧かなくなってしまうかもしれません。
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【「ノー」を受け入れられない問題】
