とは言え、学ぶ、という行為をそこまで身構えて考える必要はあまりないと思う。
要は学ぶ、ということを習慣化すればいいだけの話なのである。例えば散歩するときや、自転車に乗っているとき、通勤時、要は街の中を歩いたり移動したりしている時間も、考えようによっては「学習の時間」にすることもできるのだ。これは何も、電車にのっている時に参考書を読んで、とかそういった話ではもちろんない。
例えば街を歩いて、街にあふれる広告宣伝を見て気が付くことはないだろうか。
「最近やたらと暗号資産と美容整形の広告ばっかりだなぁ」とか、何も考えずに歩くよりも、街を観察して経済の変化を肌で感じてみる。そして、その背景や自分にとっての影響なんかを考えてみる、など。
立地は良いのに、やたらとテナントが変わるのに気が付けば理由を考えたくなるし、観光客が多い店と少ない店の違いを目の当たりにして理由を考えたり。人種によって歩くスピードって結構変らないか?ということに気が付いたり。
コンビニなんかでも、定番商品と入れ替わり商品の商品構成、頻度などからいろいろと見えてくることもあるだろうし、「レジ周りにどんどん物が増えていくなぁ」と疑問に思ってその理由を考えたり、他店と比較してみたり、などなど。
同じ歩く、移動するでもぼーっと何も考えずに歩いたりするより、思考する、観察するクセをもって歩くのではまったく異なるし、そういった小さな習慣やクセを身に付けることも、生涯学習への第一歩なのだと思う。
要は、日常的に考えたり観察する習慣やクセを持てば、他の分野や時間でも自ずと自分の頭で考えることができるようになる、ということだ。
小さな好奇心が、やがて大きな思考力に
新聞やニュースでいくら解説記事を見るよりも、実際に自分が体験して実感したほうがリアルに感じられるし、知識として身にも付く、ということは言うまでもないだろう。
同じ本を読んでも、身に付く人と、内容をすぐに忘れる人の違いや、本を読んで行動にまでつなげられる人と、読んでおしまいの人の違いも同様だ。
そういった行動や思考する人と、そうでない人の違いは何だろうか。
それは、知的好奇心を持てるか否かの違いなのだと思う。
小さなことへの好奇心が小さな行動に繋がり、そして、そういった小さな行動や思考がやがて大きな行動や思考に繋がるのだ。
興味を持って調べてみる、考えてみる、行動に移してみる。
部屋に閉じこもったり、自宅と会社の往復だけではなく、アクティブに行動することで見えてくる景色そのものが、学習の第一歩なのだ。
勉強や学習は何も「机に向かう」という昔ながらのスタイルだけが正解ではないことを念頭に、ぜひ自分に合った学びや情報収集のスタイル、方法論を見出してほしい。
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