「絶対にラインを止めてはならない」
プレッシャーの中、池田さんは必死に手を動かし続けた。
さらに、駄菓子を作る会社が減少していることにも危機感を覚えた。ある日、父とともに問屋に挨拶回りに行った際、取引先の人から安堵の表情で「継いでくれる人がいるんや。よかったわ」と言われた。
それは、廃業する駄菓子メーカーが増えていることを意味していた。池田さんは次第に「問屋さん、その先で待っているお客さんのために、なんとかして生き残っていかな」と思うようになっていく。
説明書もない旧式機械、一時「製造不能」の危機に
3代目就任後、大きな危機にも2度直面した。前編に詳しく記述しているが、狂牛病(BSE)問題の余波や、世界的なトランス脂肪酸の規制により、モロッコヨーグルの命とも言える原材料の大幅な変更を余儀なくされたのだ。
「うちの味を変えないまま、作り続けるにはどうしたらいいのか?」
池田さんは原材料の中身が変わるたびに各地から他のものを取り寄せて実験した。作っては食べ、作っては食べ、「これは違う」「食感が近い」と試行錯誤を繰り返してきたのだ。
加えて現在、池田さんが最も頭を悩ませ精神をすり減らしているのが、機械の故障だ。
「うちのアナログな旧式機械は、導入から数十年が経過しています。気温や湿度で日々ご機嫌が変わるんですよ」と苦笑いを浮かべる。
そのまま父から譲り受けた機械。説明書はどこにあるかもわからない。不具合が起きるたびに、手探りで原因を探さなければならなかった。
機械エンジニアの同級生を頼ったこともあるが、「古い機械だし、微調整は毎日触っている人間にしかわからない」と言われ、お手上げになってしまうことがたびたびあったという。





















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