「機械が止まれば会社が死ぬ」"こんなんで働きたくない"と思ったモロッコヨーグル社長が「75歳まで現役」を覚悟するまで

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サンヨー製菓の3代目社長である池田光隆さんは幼い頃、父の工場にいくのが嫌だった。

工場で飼っていた気性の激しい黒猫マリが怖かったからだ。

「夕食後、親からよく『機械が正常に動いているか見に行って来て』と頼まれてたんです。狭い階段を落ちないようにそろりそろりと上がって工場に入ると、真っ暗闇で猫の目が光って、シャーッと牙を見せる。それが怖くてしょうがなかったです」

池田さんは1971年生まれ。家は、祖父が創業したサンヨー製菓内にあった。当時、工場は長屋だった。両親の働く姿を見ながら、「こんな狭いところで作ってるんだな」と感じていたという。

モロッコヨーグル サンヨー製菓
戦後に販売されていた、初代モロッコヨーグルのフタ(写真:筆者撮影)

小学3年生になると、工場の手伝いを頼まれるようになった。けれど、モロッコヨーグルに対しては特別な思いはなく、手伝いも「好きじゃなかった」と振り返る。

しかしその頃から、2代目の父から常に「継いでくれるんやろ」と言われ続けていた。だからなのか、親の言葉に反発するよりも「自分がやらなあかんのやろうな」という諦めの気持ちが先に立っていたという。

モロッコヨーグル サンヨー製菓
池田さんが幼い頃に使われていた2代目モロッコヨーグルのパッケージ。池田さんにとって自社のお菓子は心ときめくものではなく、あくまで「家で作っている商材」だったという(写真:筆者撮影)

運転中に「こんなんで、働きたくない」

家業を継ぐことを望んでいた父。けれど地元の高校に通う頃、「まずは大学を出て、5年間は外で飯を食ってこい」と池田さんに命じる。

そのため池田さんは九州の大学に進学。3年生になり、父に言われた通りに卒業後の働き口を考え始めた。だが、その頃はバブル崩壊後の就職難の時代。景気が悪化した時代背景において、就職先を見つけるのは至難の業だった。

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