「すぐ戦争になるとは限らない」けれど「戦争しないという保証もない」もしもの未来をイメージしてみることは、決して無駄ではない

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いかなる戦争でも当事者は常に正義は我にありとします。正義は我にありと力対力で相手を制圧し、平和を勝ち取るという姿勢を続ける限り、戦争は長期化するし犠牲者が増えるばかりです。
この戦争の様相は未来も変わらないでしょう。(89ページより)

自衛隊の人員や装備は絶対的に不足

ここで、(冒頭で触れた「なにを大げさな」「極論だ」というような意見は脇に置いておき)「日本が戦争をする国になったとき」のことをあえて考えてみることにしよう。

繰り返しになるが、「かもしれない」をイメージすることは決して無駄ではないからだ。

日本が戦争をすることになったとしたら、まず気になるのは「志願兵制を採用するか、徴兵制を採用するか」という点ではないだろうか。もちろんそれは、いまのところまったくわからないことである。

しかも現在の日本人の多くは、「日本が戦争になれば戦うのは自衛隊で、自衛隊員でない人は参加しなくていい」と思っているかもしれない。しかし、現実問題としてそれは考えにくいことである。

なぜなら日本が積極的に他国を攻撃するような国となったとき、現在の自衛隊の人員や装備では絶対的に足りず、大規模な増員と装備の増強が必要となるからだ。すると当然ながら、国民が動員されることになるだろう。

アメリカや欧米諸国のように軍事的にも力のある国が、徴兵制から志願兵制へ切り替えたことには理由がある。兵器システムの高度化もそうであろうし、ソ連崩壊語の世界でNATOの脅威となる相手がいなくなったことも大きいに違いない。

端的にいえば、脅威となるような敵国がいなくなったため、軍事にかけていた人的・物的資源を減らせたというわけだ。

しかし、米国でも欧州でも、もしこれから先、自国が危機となるような戦争になったときには、再び国を守るのは国民の義務だと、国民皆兵制・徴兵制ヘ舵を切ることは十分あり得ることです。
軍事的に弱い国を相手に、余裕のある戦争をしているうちは志願兵だけでよくても、いよいよ余裕がなくなってきたときには、国民総動員ということが起きるのではないでしょうか。(92ページより)

そのとき兵士となって銃を手にするのは、その時代に生まれ合わせた世代ということになる。

もちろんそれは、未来の日本が戦争に突入した場合にもあてはまることだ。日本がこのまま戦争に近づき続けていったとしたら、その不運な人は、Z世代の若者か、もしくはその子どもたちかもしれないということである。

「いやいや、極端すぎる。あり得ないでしょ」と吐き捨てることよりも大切なのは、「もし自分の子どもや甥っ子がそうなったとしたら」と想像を働かせることではないだろうか。

結果的にそういうことにはならなかったのだとしたら、それはそれで喜ぶべきことだ。だがいずれにしても、広い視野を持って「もしも」の未来をイメージしてみることは、決して無駄ではないのだ。

印南 敦史 作家、書評家

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いんなみ あつし / Atsushi Innami

1962年生まれ。東京都出身。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。「ライフハッカー・ジャパン」「ニューズウィーク日本版」「サライ.jp」「文春オンライン」などで連載を持つほか、「Pen」など紙媒体にも寄稿。『遅読家のための読書術――情報洪水でも疲れない「フロー・リーディング」の習慣』(PHP文庫)、『いま自分に必要なビジネススキルが1テーマ3冊で身につく本』(日本実業出版社)『「書くのが苦手」な人のための文章術』(PHP研究所)、『先延ばしをなくす朝の習慣』(秀和システム)など著作多数。最新刊は『抗う練習』(フォレスト出版)。

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