「すぐ戦争になるとは限らない」けれど「戦争しないという保証もない」もしもの未来をイメージしてみることは、決して無駄ではない
なお戦前の日本において、同じようなことは“当たり前”だった。著者も、その点を指摘している。
ひとたび公表してしまったことは、たとえ失敗が明らかになっても改められることはないのだ。そしてこれは、今日の状況にもあてあまる。先ほど触れた高市発言のみならず、原発政策などをも含めたあらゆる場面で、戦前に似たことが繰り返されているということだ。
たとえば、現代と戦前の状況が似ていると指摘されることがある。国際的な緊張あるいは国内の政治問題は、たしかにそういった感覚の裏付けとなっているといえるかもしれない。
なお、このことに関連して重要なのは、「私たちは、実のところ戦前の日本人に比べて、いささかも賢くなっていない」という著者の指摘だ。私たちは無意識のうちに、過去の人々を“遅れた人たち”であると見下しがちだ。ところが実際のところ、決して昔の人たちより進歩しているとは言えないのである。
戦争になれば一般市民も招集される
未来の世界において、日本が他国に戦争を仕掛けることはまずないだろう。また冒頭の話にもつながるが、日本が“いますぐ”戦争に巻き込まれる可能性も高くはないかもしれない。
「攻め込まれたから戦う」と言われれば、大義名分として申し分のない“正義の戦い”のように思えなくはない。しかし、攻め込んでも攻め込まれても、一度始まった戦争は、資源とお金を浪費して人命を犠牲にするばかりでなかなか終わるものではない。
それはロシアとウクライナの状況を見てみても明らかだろう。イランとアメリカにしても、戦争の終結を予測することは困難だ。





















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