「すぐ戦争になるとは限らない」けれど「戦争しないという保証もない」もしもの未来をイメージしてみることは、決して無駄ではない

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なお戦前の日本において、同じようなことは“当たり前”だった。著者も、その点を指摘している。

中国での紛争に政府が慎重な姿勢を見せると、反対政党は軍部と一緒になって政府を追及する。
その結果、中国大陸の紛争は拡大し、実際には軍部も望んではいなかった状態に陥り、ついには米国との戦端が開かれることとなりました。
このとき軍部も政治家もマスコミも、自分たちの強気の言動を撤回することができず、内心無謀と承知していながら、引くに引けずに勝てない戦争へと飛び込んでいきました。
彼らの言動は終戦まで改まることはなく、いやマスコミや主戦派の論客に至っては、終戦後もなおしばらく神の国日本的論調を改めませんでした。(71ページより)

ひとたび公表してしまったことは、たとえ失敗が明らかになっても改められることはないのだ。そしてこれは、今日の状況にもあてあまる。先ほど触れた高市発言のみならず、原発政策などをも含めたあらゆる場面で、戦前に似たことが繰り返されているということだ。

たとえば、現代と戦前の状況が似ていると指摘されることがある。国際的な緊張あるいは国内の政治問題は、たしかにそういった感覚の裏付けとなっているといえるかもしれない。

なお、このことに関連して重要なのは、「私たちは、実のところ戦前の日本人に比べて、いささかも賢くなっていない」という著者の指摘だ。私たちは無意識のうちに、過去の人々を“遅れた人たち”であると見下しがちだ。ところが実際のところ、決して昔の人たちより進歩しているとは言えないのである。

私たちが平和について議論するときにも、こうした「神の国日本」調の強気な言説が出てくることは想像に難くありません。そして一般国民は、概してそうした強気な言説に魅せられてしまいます。それはこれからも変わらないでしょう。(72ページより)

戦争になれば一般市民も招集される

未来の世界において、日本が他国に戦争を仕掛けることはまずないだろう。また冒頭の話にもつながるが、日本が“いますぐ”戦争に巻き込まれる可能性も高くはないかもしれない。

しかし、NATOのような同盟関係の中にある国は、同盟国のいずれかが戦争になったら、自国と対立していない国が相手でも参戦することはあり得ることです。
事実、ドイツはNATOの一員として、すでに何度か軍事行動に出ています。
自動参戦ではないにせよ、同盟関係によって戦争に巻き込まれる可能性のあることは、第一次世界大戦、第二次世界大戦の例を見ても明らかです。(88ページより)

「攻め込まれたから戦う」と言われれば、大義名分として申し分のない“正義の戦い”のように思えなくはない。しかし、攻め込んでも攻め込まれても、一度始まった戦争は、資源とお金を浪費して人命を犠牲にするばかりでなかなか終わるものではない。

それはロシアとウクライナの状況を見てみても明らかだろう。イランとアメリカにしても、戦争の終結を予測することは困難だ。

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