「すぐ戦争になるとは限らない」けれど「戦争しないという保証もない」もしもの未来をイメージしてみることは、決して無駄ではない

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だからといって、このまま戦争へと近づいていき、やがてどこかの国と戦うことになるとは想像しにくくもある。しかしそれでも、「世界から戦争がなくならない限り、日本も戦争しないという保証はありません」という著者の指摘も見逃してはならないと感じる。

「すぐ戦争になるとは限らない」けれど「戦争しないという保証もない」からこそ、“どちらの可能性もありうる”のだ。

だからこそ無視するべきでないのは、以下の部分である。

日本が再び戦争するとき、それを私の年代の人々が見ることはないでしょう。未来の日本が戦争をするとき、その光景を見るのも、その中心にいるのも、いまのジェネレーションのみなさんとみなさんの子どもや孫たちです。(「はじめに」より)

つまり、これこそ本書のタイトルが意味するものなのだ。

国民は強気な言説に魅せられる

著者は、「世論は核反応に似ている」と述べている。ご存じのとおり、臨界点を超えると核反応は行き着くところまで行ってしまい、それを制御することは非常に難しくなる。

同じことが、政治家にもあてはまるということだ。ひとつひとつの言動には責任と影響力があるのだから、みだりに発言をエスカレートさせるべきではないということである。

たとえば中国を怒らせることになった高市早苗総理の台湾をめぐる発言は、まさにその典型であるといえるだろう。

しかも台湾問題にもいえることだが、政治家の発言がエスカレートすると世論は沸騰してしまうものでもある。

それが厄介なのだ。

強気な発言は国民受けするだけに、本来であれば慎重であるべき国際問題を、世界各国の政治家は軽々と、あたかも自己主張の道具のように使っている。しかも現代においてそうした“刺激的でわかりやすい”言動は、SNSを通じて瞬く間に拡散される。

そのため、刺激的な発言をする政治家が、先鋭化する世界の政治の先頭を突っ走っているようにも見えてしまう。

だが、それは健全なあり方ではないし、政治家が国民受けを狙って強気な発言で国民感情をエスカレートさせるのだとすれば、民主主義の弱点を突く行為であるともいえる。決して大げさではなく、民主主義の危機を招きかねないことでもあるのだ。

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