日本の教師が「過剰サービス」に陥った一つの要因 松坂桃李主演『御上先生』が突いた金八先生の罪

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さらに別の角度からの批判もあります。非認知能力研究の第一人者として知られるIPU環太平洋大学の中山芳一先生は、金八先生の授業シーンのつまらなさを指摘しています。

実際に見返してみると、確かにその通りです。国語の授業は教科書を読み上げるだけのシーンが大半。熱い演説は廊下や校庭で繰り広げられ、普通の授業時間の教室の中では目立ったことが起きません。「人という字は……」の名シーンも、国語の授業の中ではなかった。

つまりこのドラマにおいて、「熱血教師である」ことの見せ場は、授業の外側にこそありました。放課後に生徒を追いかけ、家庭まで踏み込み、体当たりで問題を解決する――そういうシーンが感動を生み、「あれが良い先生だ」というイメージを形成していった、ということです。

そのことが最もよく表れているのが、第2シリーズの象徴的なシーンです。「学校は家庭の問題に踏み込んでいいのか」という議論の中で、金八先生は「教師は教育のプロなんだから、家庭の問題に踏み込んでいい」と主張し、周囲と対立します。ドラマの文脈では金八先生の熱意として描かれるこの姿勢が、視聴者の「理想の教師像」としてそのまま刷り込まれていった――工藤先生が指摘する「サービス過多な教師へのまなざし」は、こういうところから積み重なってきたのかもしれません。

そして2025年、「官僚先生」が現れた

翻って、日曜劇場「御上先生」は、松坂桃李演じる御上孝は、東大卒のエリート文科省官僚が左遷人事で私立高校の担任になるという設定です。熱血とは程遠い、クールでロジカルな教師。生徒に感動的な演説を届けるのではなく、ひたすら「考えて!」と語りかける。

この「考えろ」という姿勢は、現在の学習指導要領が掲げる「主体的・対話的で深い学び」を体現しています。子どもに答えを与えるのではなく、子ども自身が考える力を育てる――それがまさに、金八先生型の「与える教育」からの転換です。

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