「遺伝はタブーではなく事実」最新のDNA研究が突きつける"能力差の現実"
この内部批判の存在こそが重要だ。行動遺伝学は決して一枚岩の決定論集団ではない。実際、最近では従来型のGWASではなく、機械学習的枠組みを用い、SNP・脳神経活動・表現型・環境を、多変量クラスタリングを核にしたデータ駆動型ネットワーク解析でモデル化する試みも始まっている。
行動遺伝学者たちのエビデンスに対する誠実さ
私が世間からは優生学者という烙印を押されかねない行動遺伝学といういわくつきの研究領域に長年の間とどまり続け、彼らの研究の追試と展開にいわば自分の学者生命をささげてくることができたのは、これら行動遺伝学者たちのエビデンスに対する愚直なまでの誠実さを、ずっとこの目で見届けてきたからである。
前世紀の終わりのころから、ほぼ毎年日本から行動遺伝学会に孤独に参加し、日本での小さな双生児研究(といってもようやく三桁のサンプル数に達するまでになっていた)を発表しては、彼らの何千組というサンプル数の大規模で組織的な双生児研究の成果に打ちのめされてきた。そしてそれに少しでも追いつこうと、帰国すると次の大型研究費獲得に奔走し続けた。
今でも思い出すのは、2005年にイタリアのエリーチェで行われた数日に及ぶある国際ワークショップ中の休日、プロミン(と後述するコヴァス)と地中海に置かれたベンチに隣り合って座り、脚を海に浸しながら「君も日本のふたごのDNAサンプルだけはとにかく集めておいたほうがいいよ」と諭されたことだ。
それはまさにGWASがルーティンになる時代の入り口であり、この本で生き生きと描かれているように、彼が知能のDNA探しの泥沼へと足を踏み込んで格闘している真っ最中のときだった(彼が一度はDNA探しを放棄しようとボートで海に出て事故を起こし我に返ったという、ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書のような話は私も初耳だった)。
文学部に所属するバリバリ文系の私は、それでも彼らに比肩する研究体制を構築しようと格闘したが、とうとう十分に実現することができないまま定年を迎えることになった。
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