乗客に見えない部分では、運転台にタッチパネルのモニターを採用した。登場時は、まだ世の中にタッチパネル自体が今ほど普及していなかった時代。鈴木さんは「電車の運転席にタッチパネル?とびっくりした」と当時の思い出を語る。
見た目は先代の1000形と大きく変わらず、登場時は新型車両としてはおとなしい印象もあった2000形。だが、「設計屋から見ると、かなり気合いの入ったエポックメイキングな車両」(鈴木さん)という。実は、さらなる発展の可能性も秘めていた。
8両編成で造られたが、設計上は10両編成に伸ばすことも可能。地下鉄千代田線への乗り入れも考慮しており、運転台の速度計は、車内に信号を表示する千代田線のシステムに対応したタイプだ。ブレーキも、ほかの車両が7ステップ(段階)なのに対し、2000形は「千代田線の車両に合わせて8ステップになっている」(鈴木さん)という。
10両化や千代田線直通はならず
小田急独自の幅1.6mのドアをはじめ、新機軸を多数盛り込んで登場した2000形。パンフレットには広いドア幅にかけて「新しい時代のトビラが開きます」「これからの主力車両としてデビューいたします」との文言が躍る。
だが、実際には10両編成化されることはなく、千代田線に乗り入れることもなかった。製造自体も9本で終了し、その後の新造車両はシンプルなデザインでより低コストの「3000形」に移行した。3000形は仕様変更を重ね、現在では300両以上の最大勢力となっている。ドア幅も1.3mに戻った。
90年代半ば以降、全国の鉄道では従来の車両開発方針を転換し、部品の標準化などで低コスト化を図った車両の導入が進んだ。鈴木さんは、「2000形は技術者としては完成度が高くチャレンジングな車両だが、時代の流れが早かったということだろう」と話す。独自性から標準化への過渡期に生まれた車両だったわけだ。





















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