建国時には"辺境の地"であったはずのアメリカが、世界における《例外の国》になり得た真の原動力
南北戦争やドイツ帝国の成立、日本の明治維新などイギリスに続く諸国が産業立国の体制を整えた1870年から第一次世界大戦までの40年間、イギリスの工業生産は2倍にしかならず、アメリカの8倍、ドイツの6倍、フランスの3倍に大きく劣後した。
こうしたイギリスの富の配分が間違っていることを最初に指摘したのが、イギリスの経済学者であるジョン・アトキンソン・ホブソンである。彼は『帝国主義論』(1902年)という著書を書いた人物で、イギリスの学会からは常に疎まれる存在だったが、イギリス経済が長期停滞を余儀なくされた原因を的確に指摘した。
彼の主張は、イギリス資本主義の最大の失敗は、生み出された富を、イギリス国内での商品・サービスの需要(消費力)に使うのではなく、海外への投資に用いたことだという。
それとともに、金本位制を採用していたことも、イギリスの経済成長を阻む原因のひとつであることも指摘した。
金本位制のもとでは、通貨発行量が保有している金の総量に限定されてしまう。その結果、産業革命を経て、イギリスは世界の覇権国になったものの、1870年代には長期にわたる需要不足とデフレ経済に悩まされることになった。
それに対してアメリカは、英国のような道を歩まなかった。自ら需要を創造し、国内の需要が新たな産業の受け皿となり、国民の生活水準を向上させ続けた。
その手段として、アメリカは常にフロンティアへ進出し続け、そのフロンティアにおいてアメリカン・ドリームが実現されていった。
地理的なフロンティアは、大陸東部から大陸西部へと広がり、産業においては石油産業、自動車産業が勃興し、それらがすべてアメリカ国民の豊かな生活に結び付いた。これは現在も同じで、テクノロジーやサイバー、宇宙の分野において、アメリカは常にフロンティア・スピリットを発揮し続けている。
「建前と本音」が常に一致しているアメリカ
この米英の差はあまりにも大きい。特権と既得権にすがるイギリスの上流階級と、常にフロンティアを求め、そこでの成功を目指すアメリカとでは、資本主義の型がまったく違う。





















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