作品ヒットの明暗は「脚本1ページ目」で決まる、エロ・グロに頼るIPが瞬間売上と引き換えに失う"巨大な市場"の代償
「西野さんみたいに何百冊もの絵本を贈ることはできないけれど、月に1冊ぐらいなら、自分の稼ぎの中から子供たちに絵本を贈りたいです。そういった人は結構いると思うので、その受け皿を作ってくれませんか?」
この言葉をきっかけに生まれたのが、毎月1冊の絵本を国内外の子供たちに届ける、月額2000円の支援型サブスクリプション「えんとつ町のプペル『こどもギフト』」だ。
「観たい人」だけでなく「観せたい人」にも向き合う
支援者に届くのは、毎月、絵本を受け取った子供たちからのメッセージや写真だけで、それ以外の「リターン」は用意していない。それでもなお、この取り組みには、今も数百名のメンバーが参加し続けている。つまり、毎月、数百冊の絵本がコンスタントに売れ続けているということだ。
人の身体は一つしかないため、利用者が購入する数量は原則として「一つ」に収束する。一方で、贈りたい相手は複数存在するため、寄贈者は同じ商品を複数購入する、という性質を持つ。
たとえば映画を届ける際も、前提を疑ってみる。本当に向き合うべき相手は、「観たい人」だけなのか。“作品の内容によって”は、「観たい人」と同時に、「観せたい人」が存在しているのではないか。
そこで、『映画 えんとつ町のプペル 〜約束の時計台〜』では、「シングルファミリーの子供たちに映画のチケットをプレゼントしたい人」を募集したところ、それだけで2万枚もの前売券が購入されることになった。
このように、これまで見落とされていた需要は、「ギフト化」という視点を持つことで、見つかることが多い。
ただし、ここで先ほどの「IPの木」の話に立ち戻る。「ギフト化できる商品」もまた、立ち上げの段階でその可否がほぼ定まっているのだ。
エロやグロ、暴力を伴うコンテンツは、人間の生存や繁殖に関わる本能的な回路を直接刺激するため、瞬間的な興奮を生みやすく、販売時には初速が出やすい。その一方で、エロやグロ、暴力を伴うコンテンツが「ギフト」になることはほぼない。
つまり、エロやグロ、暴力を伴うコンテンツは「利用者」にしか売ることができない。その可能性を捨ててまで、瞬間的な興奮を取りにいくべきか、否か。
キミがどんな商品を作るかは、キミの自由だ。ただ、「作り始めた瞬間に、行ける道と行けない道が分かれていく」という構造だけは、共有しておきたい。販売の命運を握っているのは事業者じゃない。脚本家だ。
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