作品ヒットの明暗は「脚本1ページ目」で決まる、エロ・グロに頼るIPが瞬間売上と引き換えに失う"巨大な市場"の代償
日本では想像しづらいかもしれないが、世界に目を向けると、ミュージカル市場は極めて大きい。ブロードウェイのメジャー作品ともなれば、単一の劇場だけで週に数億円規模の売上を、長期にわたって生み出し続ける。ミュージカル『ライオンキング』にいたっては、累計興行収入が1兆円を超えるというデタラメな実績を打ち立てている。
参考までに、世界歴代興行収入トップを誇る映画『アバター』の興行成績は、およそ4000億円規模にとどまる。1本の映画と、長期運用されるミュージカルを単純比較することはできないにせよ、表現形態の選択が、作品の到達可能な市場規模をいかに大きく左右するかは、この数字からも十分に読み取れるだろう。
この構造は、エンターテインメントに限らず、キミが手がけている商品やサービスにも、少なからず当てはまるはずだ。
それにもかかわらず、「面白い」という感覚だけを頼りに、動き出してはいないだろうか。視線が「一次」の価値にとどまり、その先の枝ぶりまで想像できていない、ということはないだろうか。
二次、三次の展開は、後付けのアイデアや根性論で広げられるものではない。こうした前提を踏まえたうえで、CHIMNEY TOWNが「IPの木に実った価値」を、どのような視点で販売設計しているのか。その思考フレームの一つを、ここで共有したい。
その商品は、「誰が支払うのか」?
CHIMNEY TOWNでは、すべての商品を「誰が使うのか」ではなく、「誰が支払うのか」という視点で整理している。この視点から捉えると、世の中のあらゆる商品は、「利用者」か「寄贈者」の、いずれかによって購入されていることが分かる。
たとえば、今、僕の目の前に置かれている缶コーヒーは、「利用者」である僕自身が購入したものだ。一方で、ランドセルを実際に使うのは子供だが、それを購入するのは、親や祖父母といった「寄贈者」であるケースがほとんどだ。
ここで伝えたいのは、いわゆる「ギフト商品」の話ではない。キミがこれまで何の疑いもなく「利用者向け」として販売してきた商品の中に、「寄贈者」にも向けて販売できるものが紛れ込んでいないだろうか。
CHIMNEY TOWNが絵本『えんとつ町のプペル』を広く届けることができている背景には、「寄贈者」を起点とした販売設計(ギフト化)がある。
話は数年前に遡る。
会社の慈善事業とちょっとしたPRを兼ねて国内外の子供たちに絵本『えんとつ町のプペル』を贈っていたところ、その活動を知ったファンの方からこんな打診を受けた。





















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