「福岡県民がホッとする"やわモチ麺"はこうして誕生」─焼肉主軸だった《ウエスト》がうどんで地元の定番になった訳
もともと広い土地を活かした「味の街」という業態で、うどんや和食など複数の専門店を併設していたウエスト。その一角として始まった焼肉は、当初こそ不安もあった。アルコールがつきものの焼肉は、ドライブイン型店舗に合わないのではないか。回転率も決して良いとは言えない。それでも「失敗したらやり直せばいい」という判断で導入した基山店の焼肉は、軌道に乗るまでに時間こそかかったものの、やがて味の街の中でも優良部門へと育っていった。
決定的な転機は1988年3月、原店の全面リニューアルだった。韓国ブームが起き始めていた時期、苦戦していた和食レストランを改装し、120席規模の大型焼肉専門店として再出発する。掘りごたつ席を導入し、純和風で家族連れが安心して楽しめる大衆焼肉店へ。さらに生ビール100円のオープニングサービスが加わり、店は一気に活気づいた。
その盛況を目の当たりにし、創業者である故・境豊作氏は断言する。
「いま、ウエストが同業他社と勝負できるのは焼肉だ!」
その後の展開は早かった。改装や新築を含めた焼肉専門店が次々に誕生し、単独の「焼肉ウエスト」が各地に広がっていく。味の街の一コーナーに過ぎなかった焼肉部門は、やがてウエストのメイン業態となった。
90年代、ウエストは焼肉を軸に拡大を続ける。年間数店舗のペースで新規出店を重ね、焼肉店としての存在感を強めていった。多くの人にとって、この時代のウエストは「うどん」ではなく「焼肉」の店だった。
だが、その快走は長くは続かなかった。
2001年9月、国内で初めてBSE(牛海綿状脳症)に感染した牛が発見される。いわゆる狂牛病問題だ。焼肉業界全体が急激に冷え込み、客足は止まり、倒産も相次いだ。焼肉を主軸にしてきたウエストにも、その影響は容赦なく及ぶことになる。
1999年、「うどん100店計画」という決断
BSEが発生し、焼肉業界が大きく揺らぐなか、ウエストはすでにうどん単独店へのシフトを進めていた。
そもそも、1996年のO-157による集団食中毒の発生が、すでに焼肉業界に大きな影を落としていたのだ。一時的とはいえ客足は遠のき、「焼肉離れ」が起きる。外部要因によって業態が大きく揺らぐ現実を、ウエストは身をもって経験していた。





















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