【追悼】ポピュリズムに背を向けた「リベラルの良心」大塚耕平氏、日銀出身の博士が魑魅魍魎の政界で問い続けた真理
奥様の真理子さんは、大塚氏の中学・高校の同級生である。大学卒業後は日本航空・国際線のキャビンアテンダントとして活躍した女性だ。初めて紹介していただいたとき、大塚氏は「僕の上司です」と笑いながら言った。
その一言に、大塚耕平という人間の本質が凝縮されていたように思う。知性を誇らず、権威を振りかざさず、最も近くにいる人を立てることに何の迷いもない。その自然な言動は、「中道」を生き方として体現していたと言えよう。
国会議員として要職を歴任しながら、決して「先生」然とした空気をまとわなかった。それが大塚氏の最大の魅力であり、魑魅魍魎の政治の世界では最大の弱点でもあったかもしれない。
「何が正しいか」と問い続けた理由
大塚氏は政治活動を通じて一貫して「何が正しいか」を問い続けた。「何が正しいかを常に問題提起することが政治家の役割だ」という姿勢を、インタビューの中でも繰り返し語っていた。
だが、なかなか正解は出ない。だからこそ熟議が必要であり、だからこそ権力は謙虚でなければならない。この哲学は、SNS時代の「正義の叫び合い」と真っ向から衝突する。
大塚氏は、相反するものも本来は1つであると説く、仏教の叡智「不二(ふに)」を、政治の現場で実践しようとしたのではないだろうか。「中道とは真理を直視し、極端な偏りを避けることだ」と語っていたことからもうかがえる。
この言葉は、自分好みの情報しか届かない「フィルターバブル」と、同じ意見が反響し合う「エコーチェンバー」が跋扈し、「賛成か反対か」「敵か味方か」という二項対立を増幅させる時代になったからこそ、傾聴に値する。
66歳での旅立ちは、惜しんでも惜しみきれない。しかし、大塚氏が遺した著作群と政策の記録は、日本が財政と民主主義の岐路に立たされるたびに参照される知的遺産として残るだろう。
謹んで哀悼の意を表する。合掌。
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