震災から15年「東北の鉄道」は復興を遂げたのか 石巻周辺を撮り続けた写真家が見た「真実の姿」

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2025年からは、新しい観光車両SATONOを使用した「だてSATONO」号が冬の週末を中心に運行されている。その乗車率はとても高く、大勢の方が女川を訪れている。駅ではお出迎えなど鉄道と街が一体となったおもてなしが行われている。

万石浦をゆく、だてSATONO号。女川駅到着前、車窓には輝く海が広がる。大きな窓のSATONO号からの眺めは一段と格別である(筆者撮影)

震災後に誕生した新しい命は輝かしい笑顔で街をさらに元気にしてくれている。駅には自然と人が集まり、街の中心となっている。

女川駅で遊ぶこどもたち。駅であり街の中心地となっている女川駅は、人・モノ・文化が重なる場所だ(筆者撮影)

私が石巻・女川の鉄道を撮り続ける理由

私が石巻での生活を始めてうれしかったのはマンガッタンライナーに出会える機会が多いことだ。鉄道ファンとしてということだけではなく、そのカラフルな車体は四季のように街を彩っていた存在なのだ。2025年、マンガッタンライナー引退に際して開催した撮影会(2025年12月1日付記事「JR仙石線『マンガッタンライナー』撮り続けた人生」)の中で、参加者の方々からマンガッタンライナーは「街の彩り」だったという声をとても多く聞いた。

震災後、仙石線や石巻線が復旧して再び走り出した列車の姿を見たときに「背中を押してもらえた」という方や「日常が戻ってきた」という声も多くあった。鉄道とは、そういう存在なのだ。いつもは空気のように意識することがない、走っているのが当たり前のものだからこそ、走れなくなってしまったときの影響の大きさは計り知れないものになる。

マンガッタンライナーや甚大な被害から復活した路線の数々と人々の想いに触れて、鉄道が果たす役割は移動にとどまらず、人の心に影響を与えるものだということを痛感した。震災からの月日が経てば、伝える人や情報量も減っていく。暮らしているからこそ見られる距離感、触れられる情報や人々の想いがある。その温度感を細く長く撮り続けて、伝え続けることは必要な役割だと私は確信している。これからも、暮らしの中でこの地の鉄道と人の姿を捉え続けていきたい。

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武川 健太 鉄道写真家・フォトエデュケーター

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むかわ けんた / Kenta Mukawa

1993年生まれ、宮城県登米市出身。石巻市在住。 中学時代に不登校と引きこもりを経験し、カメラが再び外の世界に出るきっかけに。現在はフリーランスの鉄道写真家として鉄道会社の広告撮影、写真展開催、イベント出演などを行う

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