「りくりゅうは恋人同士?」モヤモヤから生まれる"曖昧さ"がヒットを持続する。「ご想像にお任せします」に見る "答えを提示しない"強さ

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音楽でも、Adoやヨルシカ、ずっと真夜中でいいのに。のように、素性を前面に出しすぎない“ノーフェイス”設計が、想像と考察を呼び続ける。「見せない」ことで空白が生まれ、その空白が語りを生む。構造は同じだ。

ただし誤解してはいけない。曖昧さだけでヒットは生まれない。「りくりゅう」には金メダルという明確な実績がある。競技力という“白黒はっきりした価値”があるからこそ、余白が機能する。

顔を出さない“ノーフェイス”手法も構造は同じ(写真:bino/PIXTA)

企業も同様である。例えば日清食品のカップヌードルは、CMやSNSで機能説明を細かく語らず、世界観やツッコミどころを提示している。しかしそれが成立するのは、商品がすでに定番として認知されているからだ。軸が強固だからこそ、余白が拡散装置として働く。

「白黒つけない」は共存のための知恵だった

なぜこんな構造があるのか。それには日本の歴史が関係している。日本では古くから「余白」を価値とする文化が育まれてきた。

和歌は31文字の中で言い切らない。桜が散ると詠めば、そこに恋の終わりや無常を重ねるのは読み手である。作品は作者と読者の共同作業で完成する。

茶道も同じだ。豪華さよりも「わび・さび」を重んじる。あえて余白を作り、そこに意味を見いだすのは客側である。日本の美は、完成された説明ではなく、解釈の余地の中に宿る。

古くは茶道でも、客側が余白に意味を見いだす(Fast&Slow/PIXTA)

大衆文化でも同様だ。少女漫画や恋愛ドラマの“引っ張り”手法。両想いを断定せず、視線や沈黙で匂わせる。読者は「もう好きなのでは」と考察し、その時間そのものが熱量になる。

そして、日本では「断定しない」ことが不誠実とは限らない。むしろ関係を壊さないための高度な調整技術として機能してきた。白黒をつけず、複数の解釈を共存させることで対立を回避する。社会学的に言えば、曖昧さは逃げではなく、共存のための知恵である。

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