「未成年のサイバー犯罪」背景に3つの格差、倫理教育で闇落ち防ぐには? 「ホワイトハッカーに転身させろ」で解決しない訳
「犯罪なのだから肯定して持ち上げるべきではない」という声もあった。それは至極当然だ。ただ、「肯定するな」「持ち上げるな」「雇うな」で終わってしまうと、再発防止の手段を考える機会を逃してしまう。
未成年が事件を起こすこと自体は昔からあるが、問題は時代とともに学ぶ環境が変わったことだ。昔はセキュリティの技術を学ぶには、アンダーグラウンドな掲示板や書籍が唯一の情報源だったが、当時はよくも悪くも「技術」と地下コミュニティーの強い「思想やルール」が入り混じっていた。
主に国家権力への対抗が思想の背景にあり、個人の自由や権利を守るために社会に警鐘を鳴らしているという意識を本人なりに持って活動していた者もいた。同時に「やりすぎるな」「越えてはいけない一線がある」という暗黙のルールも存在していた。
今は技術と思想が分離されている。技術的な手順だけが切り出され、動画やネットで簡単に試せるようになった。
情報格差が生む「歪んだ入り口」
そもそもセキュリティビジネスという分野は、善悪が逆転しやすい。守る側と攻める側は同じ技術を使っており、どこが攻撃でき、どこが弱いのかを知っているかどうかで立場が一気に入れ替わる。
情報を持つ側が圧倒的に強い、「情報格差」が明確な世界だ。攻撃できるシステムの弱点や脆弱性を知った側が、知らない側を一方的に支配できるという感覚は、若いほど刺激が強い。未成年に限らず、知識を手に入れた瞬間に、世界が単純化して見えてしまう危険性がある。
00年代前半の頃に目立ったサイバー犯罪は、自分のセキュリティに関する知識や技術力を見せつける愉快犯だ。違法行為であることに変わりはないが、社会への啓発という名目の正義を自分の中では成立させており、現在のランサムウェア犯罪のような身代金の要求などなかった。今思えば、ずいぶん牧歌的な時代だった。
やがて、正当にビジネスとして成功する会社が出てくる一方、所得格差の大きい場所ではダークサイドのビジネスが育っていった。例えば、海外、とくに東欧では優秀な若者がコンピューターサイエンスを学んでも、国内に就職先がなかった時代があった。





















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