「結婚式がなくなる時代」に結納専門店はどう生き残る?→101年続く"老舗"を救った「昆布で切り絵」の《発想転換》
高桑乃し店の創業は1925年、初代店主は高桑さんの祖母・フヨ子さんである。フヨ子さんは夫を早くに亡くし、長男・慶一さん、長女・満知子さんを女手一つで育てるために事業を始めた。
「祖母が店主だったころは、一つ何十万円もする水引の宝船が毎月のように売れました。しょっちゅう、夜中まで作業していたことを覚えています。戦中は大変だったと思いますが、戦後の高度経済成長期から昭和が終わるころまでは、結婚にお金をかける時代でしたから忙しい毎日でした」
フヨ子さんは1979年に78歳で亡くなった。その後、慶一さんと妻の万里子さんが2代目、3代目を務めた。
「私はおばあちゃん子でね。可愛がられました。幼いころは『稔、店を継いでくれ』といつも言われていました。父・慶一が亡くなる時も『店を頼む』と後を託されました」
「いつか家業を継ぐ」と書道を習い続ける
しかし、稔さんは関東の大学を卒業後、いったんサラリーマンになった。最初は富山県内の食品メーカーに3年間勤め、理科学機器を扱うメーカーに転職、そこで1999年まで勤めてから家業を継ぎ、稔さんが4代目となった。
「脱サラする時、母には反対されました。祖母の頃ほど豪華な結納をする時代ではなくなっていたからでしょう。しかし、私は、事業承継に魅力を感じていました。富山市中心部にある総曲輪(そうがわ)商店街の再開発が持ち上がっていたからです。当店も心機一転、2004年12月に現在の場所へ移転し、再オープンしました」
高桑さんの頭の片隅には「いつか家業を継ぐ」という思いがあり、小学生の頃に始めた書道を、サラリーマン時代もずっと続けていた。高桑乃し店では、結納品の目録などは毛筆で記す。今の時代、ホテルなどで結納をすれば、パソコンとプリンターを使って「毛筆風」のフォントで印刷しているところが少なくない。しかし、あえて、手書きにこだわっている。
高桑さんは事業承継に先立ち、いくつかの同業者の店舗を回り、「平成の時代に結納はどうあるべきか」を考えた。そして結納と結納返しについてのマニュアルを作成し、来店客などに配った。



















