「今もアイドル」「一緒に朝ご飯を食べてるのが信じられない」 《推しのギタリスト》と国際結婚した日本人女性…"51歳の現在地"
仕事がない。収入がない。しかし、ローンを組んで家を買ったばかりだった。返済が滞り、銀行から催促の電話がかかってくる。
手っ取り早くお金を稼ぐ方法はあった。カニサレスがタブラオ(フラメンコショーバー)で演奏すれば、1日100ユーロくらいにはなる。
「でも、そこで弾き始めたら、もう世界の一流の舞台には戻れないかもしれないと思いました。彼はそこで一生を終える人じゃない」
家計が苦しいことは夫には告げなかった。「全部うまくいっているから、あなたは創作に集中して」と伝え続けた。
では、どうやって生活費を稼いだのか。
「書道です。当時、日本ブームの先駆けみたいなものがあって。私は幼い頃から書道を習っていました。書を作品にして、画廊に持って行ったんです」
1点800ユーロ(当時のレートで約10万円)で売れた。写経が特に人気だった。注文も入るようになった。書いては売り、売っては書きの生活だった。
「夫には絶対にばれないようにしました。裏で妻が書を売って生活費をまかなっているなんて知ったら、彼のプライドを傷つけてしまうと思って」
結婚2年目で訪れた転機
結婚2年目、転機が訪れる。それまではマドリードのスタジオを借りて、レコーディングをしていたが、時間に縛られるのが気にかかっていた。
ならば、自宅にスタジオを作ればいい。そう思い立った。幸い、郊外の家の地下は広かった。
しかし完成してから、あることに気づいた。
「エンジニアがいないと録音ができない。マドリードから呼んでも、結局エンジニアの予定に合わせることになるから、夫のリズムで録音ができない。だったら、私が学ぶしかないと思いました」
そして1年間、サウンドエンジニアの集中講座を受けた。その後、バークリー音楽大学のオンラインマスターコースも修了した。





















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