最短で答えを求めない「スルーしない人生」の正解――効率を求めがちな社会で、あえて「問い続ける」人がつかむ"運"と"得"

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なんだか小難しく聞こえるかもしれませんが、これはみなさんの日常でも起こっていることです。

たとえば、野菜を買いに行くとします。

そこでブロッコリーに目が留まりました。この瞬間、頭の外にあったブロッコリーというものが、頭の中に入ってきて、問いの対象となるということです。

そのブロッコリーはすごく小ぶりなのに値段がめちゃくちゃ高かったとしましょう。そうするときっとこう思うはずです。「どうしてこのサイズでこの値段なのか?」と。

この問いの対象はブロッコリーです。小さいのに高いブロッコリーを見て疑問に思ったわけですから。この場合、ブロッコリーはもともと頭の外にあったのですが、問いを立てる段階では頭の中で思い描かれています。

「問い」を立てるために必要なこと

では、このような例はどうでしょう? 

あるときふと、「死んだら生まれ変わるのだろうか?」と思ったとします。この問いの対象は死です。

この場合は最初から頭の中に対象があったように思いますが、ふと思ったとしても何らかのきっかけがあるはずです。どこかで虫の死骸を目にしたとか、最近病気をしたとか……先ほどのブロッコリーと同じで、きっと頭の外にあるものや出来事がきっかけとなっているのだと思います。自分では気づいていなくても。

つまり、問いを立てる最初のきっかけは外的なものであり、問いの対象は日常の中にあふれているのです。

ただ、いくら問いの対象となる物事が日常にあふれているといっても、それだけで自動的に問いが立てられるわけではありません。先ほどのブロッコリーや死に関する問いを見てもらえばわかるように、何らかの知識や経験がないと、問いにはならないのです。

ブロッコリーの場合は、同じくらい小さいサイズでもっと安く買った経験があったのでしょう。死の場合は、生まれ変わりという概念を知識として知っていたのかもしれません。

目の前の物事が問いの対象となったとき、あなた自身の知識や経験が相まって、ようやく問いになります。もちろん初めて見たものも問いの対象になりますが、その場合はほかの物事に関する知識や経験と比べて、「いったいこれはなんだ?」という問いが生まれているのです。

その点では、これまでの知識や経験すべてが、問いを立てるために潜在的に蓄積されているといってもいいでしょう。だから私たちはいつでも問いを立てることができるのです。そして知識や経験によってできた問いは、自分だけのオリジナルの内容になるはずです。

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