高市首相の「働いて」を無にする《側近たちの暴走》、政権に漂い始めた第1次安倍"短命"政権と同じ臭い
核保有発言とは、その前日の12月18日に「安全保障を担当する政権幹部」が記者団に対して、「個人的見解」と断ったうえで「日本は核兵器を保有すべき」と発言したことだ。なお発言はオフレコで行われており、「政権幹部」はそれに油断して本音が出たものと思われる。
木原官房長官は会見で「政府として非核三原則を政策上の方針として堅持している」と弁明したが、陸上自衛隊出身の中谷元元防衛相がいち早く苦言を呈した。中谷氏は「政府の立場として個人的な意見を軽々に言うことは控えるべき」と述べ、「公になった以上、しかるべき対応をしなければならない」と断じている。
立憲民主党の野田佳彦代表も19日の会見で「首相のそばにいること自体に問題がある」と早急の更迭を求めた。一方で参政党の神谷宗幣代表は、20日にX(旧ツイッター)で「いろんな議論や意見があっていい」と政権幹部の発言を容認した。
国民民主党の玉木雄一郎代表は19日夕方、三重県津市での街宣後に“発言が事実であるなら”と前置きしたうえで、「従来の政府の方針とは違う。NPT(核兵器不拡散条約)に日本は加盟しているので、条約上の義務違反の可能性もある。政府の立場としての発言なら問題だ」と述べた。
なお、玉木氏はXで「オフレコの話を記事にするメディアも問題では」と、報道側の姿勢を批判した。これは、「報道の自由」が憲法の保障する「表現の自由」の一部であり、民主主義の根幹を構成することを見逃していることにもなりうる。オフレコ取材は報道される側と報道側の信頼関係に基づくものはもちろんだが、「国民の知る権利」に優越するものではない。
重要な点は、高市首相の「存立危機事態」発言をめぐって東アジアの緊張が高まっている現在、このような発言がなぜ行われたのかという点だ。しかも、いくら「個人的見解」と断ったとしても、受け止めが必ずしも一様とは限らない記者団に対する発言としては、岸田政権時にLGBT差別発言で更迭された荒井勝喜総理秘書官と同様に、軽率ではなかったか。
口を開けばデマ連発の外務副大臣
「うっかりミス」は誰にもあるものだが、それが重なると、もはや「過失」とはいえない。例えば、立憲民主党がXで「デマを繰り返す異様な外務副大臣」と切り捨てた、国光文乃外務副大臣だ。
国光氏は、高市首相が11月7日の衆院予算委員会に備えて午前3時に首相公邸に入ったことについて、野党からの質問通告が遅く、前々日の正午までという野党の通告ルールが守られていないと、Xで厳しく批判した。だが、委員会は必ずしも開催の2日前までに決定するものではなく、また14年に「速やかな質問通告に努める」との申し合わせが作られた。




















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