経営と知財部門の共振で企業価値を向上させる IPトランスフォーメーション「知財戦略最前線」
イノベーションマネジメント研究科 専攻主任、教授、博士(工学)、弁理士
加藤 浩一郎氏
外資系企業の知財部門を経て現職。特許庁委託事業「グローバル知財マネジメント人材育成推進事業」等の有識者委員会委員長および委員のほか、知的財産大学院協議会理事(元会長)など、多数の役職に従事
IPトランスフォーメーションが求められる背景とは
――政府の「知的財産推進計画2025」において「IPトランスフォーメーション」という新しい概念が示されました。
加藤 IPトランスフォーメーションとは、知財の創造・保護・活用のサイクルを通じて社会課題を解決し、ひいては企業価値を高める取り組みを指しています。いわばデジタルトランスフォーメーション(DX)の知財版ともいえるでしょう。
ですから、企業が知財を活用して、製品やサービス、ビジネスモデル、組織文化までを変革し、競争優位性を築くところまで視野に入ってきます。例えば、世界的なIT企業の中には、独占的な知財戦略を転換し、他社との協働やライセンス提供等を積極的に進めた結果、企業文化の刷新と持続的成長を同時に成し遂げた事例もあります。IPトランスフォーメーションとは、こうした「知財を核に企業を変える」動きそのものなのです。
政府がIPトランスフォーメーションを推進する背景には、日本企業の時価総額に占める無形資産の割合を引き上げていかなくてはならないという問題意識があります。
――知的財産を評価する環境づくりも重要ですね。
加藤 2021年にコーポレートガバナンス・コードを改訂した中で、「知財の情報開示の強化」に言及していますが、これも知的財産という無形資産をステークホルダーが評価できるように、情報開示を促したものといえます。無形資産を十分に活用し、評価できるようにすることが、PBR(株価純資産倍率)の向上にもつながっていくでしょう。
知財は「守る」だけでなく、競争優位を生むために「どう活用するか」が重要です。先進的な企業では特許の活用を起点に戦略を設計し、市場での差別化や国際標準化を進めています。また、そうした企業は、経営層と知財部門の距離が近いという特徴が見られます。
知財を経営に近づける仕掛けと仕組み
――経営と知財部門の距離をどう縮めていくべきでしょうか。
加藤 知財の重要性は多くの企業が理解していると思いますが、さらに経営戦略として十分に活用していくためには知財部門と経営者層とを橋渡しする仕組みが必要です。そこで、有効な手法として挙げられるのが知財情報とマーケット情報を組み合わせて事業環境を分析する「IPランドスケープ」です。先進的な企業では、知財部門と事業部門が一体となって分析や議論を行い、経営課題に知財の視点を結び付けています。
最近では、コーポレートガバナンス・コードの意図を受け、IR活動の中で知財情報を投資家に積極的に開示する動きも進みつつあります。知財を目的と機能で捉える発想が、これからの経営には不可欠です。
――知財を、企業価値向上に直結させるためには、どのような戦略転換が必要でしょうか。
加藤 知財戦略を企業価値向上に結び付けるには、まず「特許をどう活用するか」を起点にすることが重要です。例えば、独占的な知財運用から、オープンイノベーションを軸にしたライセンス戦略へ舵を切る場合、リスクもあります。コアな部分の技術流出を防ぐための管理体制を整え、どこを開放し、どこを守るかを明確に設計する。これ自体が戦略の中核です。
また、経済安全保障や標準化対応など、知財部門が担うべき領域が格段に広がっています。経営と技術の両面を理解し、ビジネスモデル全体を俯瞰する役割が求められています。
ただし、知財の活用を企業文化として定着させるには、トップマネジメント層から「知財部門の役割を再定義する」などと明確に方針を出すことが大切です。例えば、経営会議の定例議題として知財報告を入れる、役員クラスが知財戦略を自分ごととして受け止める仕組みをつくることなどが出発点になります。
一方で、理解はあっても「どこから手をつけてよいかわからない」という企業は少なくありません。知財戦略を経営に接続するには、部門横断の協働が欠かせません。例えばIPランドスケープにより、知財部門と事業部門、研究開発部門などが一体となって情報を可視化し、共通言語で議論できるようにすることが、知財を経営に近づける大きな一歩になります。
発想段階から描く長期視点の知財戦略
――特許の存続期間が最長20年に及ぶことを踏まえると、知財戦略には長期的な視野が求められます。短期の中期経営計画にとどまらない、未来志向の知財マネジメントとはどのようなものなのでしょうか。
加藤 20年後までを見通して設計するのは容易ではありませんが、先進的な企業では5年、10年先を見据えたうえでバックキャストで知財を取得し、戦略を練る取り組みを始めています。自社でカバーできない分野については、どの企業と組むべきかを見極め、そのパートナーを自社に引き込むために「どのような特許を持つべきか」を考えることも、知財部門の重要な役割だといえます。
今や知財は、同業他社との競合だけを意識する時代ではありません。サプライチェーンの上流から下流までを俯瞰し、どの段階でどのような知財が効果的かを認識する必要があります。技術進化のスピードが速い現在では、ビジネスモデルや標準化の進め方といった「仕掛け方」が、競争優位を生み出すカギになっています。
――優れた技術やアイデアを生み出しても、他社に先を越されてしまうケースもあります。発想をビジネスにつなげるためには、どのような知財の取り組みが求められるでしょうか。
加藤 「知財の視点を忘れないこと」が極めて重要です。将来の技術や市場を想定して「こういうものが必要になるね」と議論して終わりでは、他社に先を越されてしまいます。発想が外に漏れた時点で、他社が先に特許を出願することもあります。だからこそ、発想段階から知財を戦略的に埋め込む必要があります。
研究者や事業担当者も「こういう技術が必要になりそうだ」と思ったら、知財部門に相談する、あるいは弁理士を交えて一緒に検討して出願する習慣を持たなければ、アイデアは優れていても事業化のフェーズで劣後してしまいかねません。
――スタートアップとの連携が増える中で、オープンイノベーションの文脈における知財のあり方は、これまでとどう変わってきているのでしょうか。
加藤 オープンイノベーションが進む時代において、知財戦略はもはや知財部門だけのテーマではなく、事業戦略の中核を成すものです。例えば、自社の重要技術を開放するようなケースでも、最終的な決断を下すのはトップですが、その際、「どの知財をオープンにするか」「どのようなリスクが想定されるか」「どの領域をブラックボックス化すべきか」等といった助言を行い、経営判断を支える参謀として機能するのは知財部門なのです。
いま求められているのは、こうした経営と知財が一体となった判断です。だからこそ各社は、知財戦略のセオリーと先行事例を学び、自社に最適な知財活用のモデルを探ることが求められているのです。


