“資格試験沼”にはまった20代、転職を繰り返した30代を経て《49歳で第1子》生まれた男性が《60歳で結婚相談所を開業》した理由

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妻は現在保険代理店に勤めているが、かつてディズニーランドでダンサーとして活躍していた経歴を持つ。剱持さんは妻を「すぐにカッとなる自分と違って、ふわりと人と接することができる人。きっと相談者の方に対してもうまく対応してくれるのではないか」と捉えている。

「それから、僕自身が『妻となら相談所の運営もうまくやっていけるのではないか』と思っています。僕は周囲から社交的だと思われているけれど、あの思春期を過ごしたこともあって、実はすごく神経質で気難しい部分があるんです。でも、妻とは一緒にいて疲れることがほとんどないんです」

転職を繰り返す夫に対し、妻は今まで一度も否定することはなく、淡々と応援してくれていた。「今は『やれるところまでやってみよう』と思って毎日過ごしています」

「おじいちゃん?パパ?」と聞かれて

最後に、アラフィフパパあるあるのエピソードを一つ紹介してくださった。

「息子が0歳の時のことです。実家で、熱いお茶が上に乗っているテーブルクロスを息子が引っぱって、やけどをしてしまった。慌てて病院に連絡をしたら、救急車を呼ぶことになって。

すると、到着した救急隊員が僕の顔を見て『おじいちゃん?パパ?おじいちゃん?パパ?』って早口でまくし立てたんです。それはちょっとショックでした(笑)」

剱持さんは普段、白髪をヘアマニキュアで染めている。しかし当時は初めての子育てに追われグレイヘアのまま過ごしていた。「それからはやっぱり染めておこう、と思うようになりました」。

(写真:剱持さん提供)

現在、息子さんは小学生。「小学校も色々行事があるし、今も一応髪を染めています。でも、そろそろいいかな?と思って息子に『お父さん、いつまでヘアマニキュアしたらいいと思う?』と聞いたら『もうちょっとしといて』と返されました(笑)」。

このやり取りに、剱持さんが大切に守ってきた息子さんの優しい心と、ふたりの関係の健やかさが表れていると感じた。

剱持さんがグレイヘアで過ごすのは、もう少し先の話になりそうだ。

【前編】49歳で第1子、資格試験10年→7歳差妻と結婚の経緯 では、毒親だったと振り返る父に翻弄された幼少期~青年時代の話を深堀り。結婚、アラフィフパパデビューに至るまでの日々を詳しく語ってもらっている。
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宇乃 さや香 フリーライター

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Sayaka Uno

1982年北陸生まれ。大学卒業後、分譲マンション管理会社、フリーペーパー出版社、認知症対応型グループホームでの勤務を経験。妊娠・出産を経てフリーライターとして独立。生き方や価値観のアップデート、軽やかに生きるヒントを模索し、取材を続ける。

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