「負担」に見合う「取り分」がない
そして、もっと深刻なのは意識上の影響だろう。

とりわけ未婚者は、不本意なまま現在の社会経済状況に適応してサバイバルしているようなところがある。しかし、企業と国家による「二重の収奪」が続き、来年からは「子ども・子育て支援金」という「負担」が課される。
しかも、未来永劫においてそれに見合う「取り分」が得られる可能性がほぼない(もう家族を持つことは諦めている!)。これが“独身税”と名指しされることの本質なのである。
さきごろ2024年に生まれた子どもの数が初めて70万人を割り、出生率も1.15と過去最低を更新したことを厚生労働省が公表したが、明るい展望が描けない「収奪的な社会」が温存され、多様性に配慮しない「負担」ばかりが増せば、今後若い世代がますます結婚をしなくなることが予想される。
そもそも独身時代に負担が増えれば、結婚への意欲が減退することは容易に想像できるはずだ。また、こども家庭庁が莫大な予算を持つことも、国民の反感を買うだけであり、「こども家庭庁をなくせば財源確保できる」といった意見を生むことにつながっている。
“独身税”というパワーワードが21世紀の日本で浮上したことの意味はあまりにも重い。いたずらに国民間の分断をあおり、むしろ社会の崩壊の速度を速めることになった政策の一つであったと後年、語り継がれることになるのではないのだろうか。
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