元なでしこ・宮間あやさん(40)「絶望でしかなかった。でも生きていくと決めた…」。彼女が初めて語った《引退の真相》とサッカーへの思い

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強制的に気持ちを切り替えるため、地元で会社を設立(写真:今井康一撮影)

それでも、生きていくために、宮間は「まずは、人間らしい生活を始めることからスタートした」。毎日決まった時間に起きて、3度しっかりと食事を摂る。現役時代ほど厳密ではなかったが、生活リズムを整えた。

そして、「強制的に気持ちを切り替えるために、拠点を作ることにしました」。

湯郷を退団した翌年の2017年に地元・千葉県で会社を設立。「何をするかは決めてなかったのですが、自分が何かをすることを通して生まれ育った千葉や、社会の役に立つことはできないかと考えていました」。

キッチンカーでアイスやカレーを販売

地元の先輩や引退してから知り合った人たちと一緒に仕事を始め、建築資材を卸したり、地元の名産であるハマグリを販売したり。直近では、キッチンカーでアイスクリームやカレーを売っていた。

「市の臨時職員をやってみようと思って、市役所に相談に行ったこともありました。自分に何ができるのか探しながら、最初の3〜4年はいろいろなことを細々とやりながら生活していました」

多くの人と関わるなかで、宮間の中にも変化が生まれた。

「自分にストイックではない一面があることも知りました。今の私には“懸けるもの”が何もないですけど、人生はそれほど長くないので、楽しいと思う時間を作れるように努力しています」

今は、甥っ子、姪っ子をはじめ、元チームメイトなど友人の子どもたちの成長を見るのが楽しいと微笑む。

「私は今年40歳になったのですが、自分たちに必死に走ってきた時間があったように、『今の子どもたちもこれからきっとそこに向かうんだろうな』『この子たちは未来の日本を作っていく1人なんだ』と思ったら、何かしてあげたいと思ってしまうんですよ」

自分のことよりも、誰かのために。引退しても、彼女が大切にしているものは変わっていない。

宮間あやさんのインタビュー【後編】に続きます
山田 智子 フリーライター・カメラマン

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やまだ ともこ / Tomoko Yamada

日本サッカー協会勤務を経て、2013年に独立。フリーのスポーツライター・カメラマンとして、東海地方を拠点にバスケットボール、サッカー、フィギュアスケートなどさまざまなスポーツの現場を飛び回る。『Number』『中日新聞』など各種媒体に寄稿するほか、愛知県のバスケットボールWEBマガジン『愛B café』を運営。競技の魅力だけでなく、アスリートの知見のビジネス活用やスポーツを通じた街づくりにも関心を持ち、現場目線での取材・執筆を行っている。

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