元なでしこ・宮間あやさん(40)「絶望でしかなかった。でも生きていくと決めた…」。彼女が初めて語った《引退の真相》とサッカーへの思い

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精神的支柱だった澤が引退した翌2016年2~3月に行われたリオデジャネイロ五輪最終予選で敗退。オリンピックへの道が断たれると、宮間はその責任を一身に背負った。さらに所属チームの岡山湯郷Belleでは監督と選手の不協和音が取り沙汰され、同年11月に電撃退団。以降、ピッチに戻ることはなかった。

引退会見や引退試合も行われず、サッカー関係者でも彼女の近況を知らない。当時はまだ31歳で年齢的な衰えもない、ワールドカップ4大会、オリンピック2大会を含む日本代表戦162試合に出場、史上最多3度のアジア最優秀選手を受賞した司令塔の突然の“退場”だった――。

それからの宮間は、時折サッカー教室やイベントに参加することはあるものの、解説者として活躍する澤やタレントとして人気を博する丸山桂里奈とは対照的に表舞台から姿を消した。

「お酒を飲みながら、テレビに出ているかりちゃん(丸山)を観ているほうが楽しいですから」と宮間。

そんななか、彼女が日本サッカー協会女子委員長補佐に就任したというニュースが飛び込んできた。

なぜ突然サッカーから離れたのか。その後どのような思いで過ごしてきたのか。どのような思いで再びサッカー界に戻ってきたのか。2011年のワールドカップでは、日本サッカー協会のスタッフとして彼女の活躍を見てきた筆者が、公の場に戻ってきた宮間にインタビューを試みた。

9年ぶりにサッカーの世界に戻ってきた(写真:今井康一撮影)

あのときに自分は、一度死んだ

冒頭の言葉通り、小学校1年生の時にサッカーに出会ってからずっと、宮間にとってサッカーは「その日一番やりたいこと」であり続けた。

2003年に18歳で日本代表に初招集されて以降、常に名を連ねてきた。日本代表の合宿でも、宮間は毎日いちばん最初に練習場に現れ、最後まで残って蹴り続けていた。子どもの頃はボールと一緒に寝ていたのではないかと想像させるほど、全身からサッカー好きがあふれていた。

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