本書に、森林面積について推論する問題がありました。
正解は、「まちがっている」ですが、教員の正答率は低くて「判断できない」と答えた人が多いとのこと。実は、私も「判断できない」と答えたんです(笑)。
数字に注意を払わず、「なんでも昔は今よりも多かったと考えていいのかな、今も植林して増えている分もあるし……でもさすがに追いつかないかなあ」などと余計なことを考えて、問われていることからすっかり注意が逸れてしまいました。設問に書いてある情報のみに基づいて、聞かれたことだけを考えれば良かったのですよね。
なるほど、だから私は数学が苦手だったのだなとわかりました。
数学の問題を解くときに「この公式を使いなさい」と先生に言われると、「なんでこれじゃなきゃいけないのかな?他にも方法があるかもしれないのに?」と、問題に書かれていないことでひっかかって、その先がわからなくなってしまうのです。
旅人がいつ亀に追いつくかという計算なんかも、亀なら途中で休むのではとか、旅人が転ぶかもしれないとか、余計なことに気を取られて問題に集中できません。
もしあの頃に、先生が「数学には『数学語の読み書き』というものがあって、書いてある情報だけを基に判断し、それ以外は考えなくてもいい」ということを教えてくれていたら、私はあのように悩まずに済んだかもしれません。違う言語なのだと知っていたら。
肉体は「この世界を知るための端末」
このごろ私は、身体が大事だと思っています。生成AIは、人間とほぼ同じコミュニケーションが可能だとは言われていますが、AIは今のところ生身の身体がないので病気になることも、死ぬこともありません。
一方、私たちは、気づいたら生まれていて、選んでもいない肉体を与えられ、その肉体は必ずしも思うようになりません。変化し続けて必ず死ぬ体を持っていることは、私たちの思考や言葉に影響を与えています。そして肉体は当然ながら、この世界を知るために、脳に情報を入力する端末でもあるのです。
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