〈公文書管理〉国立ハンセン病資料館は所有を否定。消えた「癩(らい)患者徴兵検査書類」の行方

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『東村山市史研究 第26号(2017年3月17日)』には、「全生園入所者自治会図書館資料の活用と課題─―東村山市史編さん委員会作成データの意味―─」と題する論考が掲載されている。ここに、現在、所在不明となっている史料と国立ハンセン病資料館との関わりについての記録がある。

同論考によれば、史料類が自治会図書館からハンセン病資料館に管理が移管された経緯は次の通りである。

「2008年3月31日をもって、自治会の決定によって(図書館が)閉鎖され、全資料はハンセン病資料館に移管されることとなった」

「2008年6月 さらに自治会図書館に残された資料のなかから資料館へ5000余点を移管」

その後、国立ハンセン病資料館の館長であった成田稔氏(2007年に館長就任。2021年7月に退任。2023年逝去)は、旧自治会図書館などを含めて守ってきた史料の整理を、全生園がある東村山市に依頼し、東村山市の関係者が目録化に従事することになった。

成田氏からの依頼を受けて、前述史料にその手で触れて存在を確認した関係者は、東村山市史にこう記している。

「博物館施設に関わったものとして、これらの全資料が、移管されたというハンセン病資料館の手で資料整理がなされ、その一部であったとしても公開の準備ができるまでには相当の年月を必要とすると考える。しかし(幸いに)それらの資料群が散逸することなく最終的にはハンセン病資料館に保管されていることが明らかになっている」

だが、厚労省によれば、そうした史料は保有していないという。

これまで筆者は国立ハンセン病資料館に対しても、史料の目録化をめぐる上記経緯について何度も問い合わせてきた。しかし訪問や電話で問い合わせても、資料館は常に「一日ずっと会議」「一日ずっと打ち合わせ中」といった対応を繰り返し、最後には一切応じなくなった。メールでの問い合わせにも返答はなかった。

歴史の節目に再考すべき公文書の管理とは

筆者は沖縄戦など戦時中の歴史をひもとくため、これまで数多くの公文書を調査してきた。その調査は時に、海外にも及んだ。

アメリカでの調査では、公文書保管に対する彼我の違いについて知った。アメリカの国立公文書館では、ホワイトハウスへの電話連絡、応答のメモ一枚、事務連絡の紙片でさえ、未整理であったとしても必ずファイルに収納され、保管されていた。

それは国立公文書館のみならず、大統領図書館や大学が保管する、研究者や政策立案者の生前の私的な書類であっても同様だった。

転じて日本ではどうだろうか。公共施設への寄贈、施設の「国立化」「公立化」は時に、外からは決して見えない場所、開かずの扉の向こうに行ってしまうことを意味する。

ひとたび「収蔵」されれば、後は「個人情報保護」を盾に、ただ“死蔵”されるだけというケースはきわめて多い。

公共財は、積極的に活用されてこそ「公益性」が維持・更新される。その意識が乏しいと、収蔵史料の意味や価値にさえ鈍感になりかねない。

(本稿では旧法律名や史料名は、旧呼称のまま記載しています。その他はハンセン病に統一しています)

七尾 和晃 記録作家

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ななお かずあき / Kazuaki Nanao

ななお・かずあき/1974年生まれ。石川県金沢市出身。記録作家。「無名の人間たちこそが歴史を創る」をテーマに、「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢で、市井に生きる人々と現場に密着し、時代とともに消えゆく記録を踏査した作品を発表。『堤義明 闇の帝国』(光文社)、『銀座の怪人』(講談社)、『闇市の帝王:王長徳と封印された「戦後」』、『炭鉱太郎がきた道:地下に眠る近代日本の記録』(以上、草思社)、『琉球検事:封印された証言』(東洋経済新報社)、『沖縄戦と民間人収容所』(原書房)、『語られざる昭和史』(平凡社)など多数(撮影:今井康一)

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