「ライバー刺殺」で見過ごされる"隠れた戦犯" 「都心で白昼堂々、20代女性が刺殺」「ライブ中継」は確かに強烈だが、氷山の一角かもしれない

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憧れの存在が身近になることで、「もしかすると深い仲に発展するかもしれない」と期待する人は少なくないだろう。そうなれば、そこに商機を見いだして、「期待をあおれば、より金銭を集められる」と、より攻めた活動に移行してもおかしくない。

ただ、攻めているように見えるのは、あくまで「作られた像」でしかない。なんらかのきっかけで、化けの皮が剥がれてしまうと、視聴者は「ウソをつかれた」と裏切りのショックとともに、負の感情を抱いてしまう。アンチを増産しかねない、諸刃の剣でもあるのだ。

誰でも参入できる。それはつまり、もしものトラブル対応も、個人レベルで行わなくてはならないことを意味する。疑念の目を向けられた際には、SNSを通して、本人みずからが矢面に立つ必要に迫られる点は、参入障壁の低さと表裏一体だ。

テレビタレントを多く抱える大手事務所であれば、「タレント像」形成のノウハウがあり、いざという時のクッション役も担える。しかし個人ベースの活動だと、ファンとの認識のズレを逐一認識して、リスクマネジメントを客観的に行える存在は少ない。また、たとえファンとトラブルが起きても、法的措置も含めて、ある程度のサポート体制を得られる。

もはや単なる「場所貸し」とは言えない

であれば、事務所に所属しない人々は、守られるべき存在ではないのかと言うと、そうではない。本来であれば、利用する動画配信のプラットフォーム企業が、その役割を担うべきだろう。

もちろん、ユーザー一人ひとりに、担当者を付けるわけにはいかない。しかし、コミュニティーの風紀を守り、配信者・視聴者の距離感を保つ雰囲気づくりは、もっとやってもいいように感じる。

動画や文字を問わず、あらゆるSNSプラットフォームには日夜、誹謗中傷が飛びかっている。最近ではトクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)による「闇バイト」など、凶悪犯罪の温床にもなっている。もはや単なる「場所貸し」とは言えず、健全なカルチャーの育成に取り組む義務があるのではないか。

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