「授業中は寝るかギャグを考えていた」陽キャの彼が5浪を経験 医学部合格で得た学び

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向かわな井さんは、とある地方の都道府県に、父親が医師、母親が看護師の家庭に生まれました。

公立小学校の中学年から野球をやっていた彼は、ピッチャーとして活躍し、甲子園に出ることが夢でした。

お調子者の性格で、授業や通っていた塾ではつねにふざけていたそうですが、公立中学校での成績は真ん中〜上のほうをキープできていました。

「頑張ってはいませんでしたが、授業でふざけていたらちゃんと怒ってくれる先生がいたので、成績をキープできました。地域ではいちばんで、なおかつ野球も強い高校を選びました」

文武両道を実践している県有数の進学校の理系コースに入学した彼は、甲子園を目指して野球部に入ります。

中学の終わりに肩と肘を故障してキャッチャーに転向した経緯もあり、甲子園への出場はかなわなかったものの、高校3年生の最後の夏には背番号をもらうことができ、野球への思いは自分の中ではひと段落ついたそうです。

ところが、進路について考えていなかった彼にとって、大変なのはここからでした。

授業中は寝るか一発ギャグを考えるかの日々

高校3年生の夏まで野球をしていた彼の授業中は、「寝るか一発ギャグを考えるかのどちらか」だったそうです。

「高校1~2年生のときは、野球部の先輩のいる教室に行って一発ギャグをやらないといけませんでした。それで教科書を開いていても、そこからインスパイアを受けてギャグのネタにすることが習慣になってしまい、まったく勉強しないまま高校3年生の夏が終わりました」

模試も受けたことがなく、将来のことも何も考えていなかったそうですが、野球部員以外のクラスメイトはみな東大・京大・医学部を第1志望にして勉強をしていたのをみて、彼自身も医学部志望に決めます。

「学力的に足りなかったのもありますが、大学受験に対する知識がなさすぎましたね。医者になろうという気持ちはなかったのですが、それ以外の大学や学部もあまり知らなかったので、ずっと医学部志望と書いていただけです」

模試はサボって一度も受けていないために偏差値はわからないまま、現役時は横浜市立大学の医学部を志望しました。結局横浜市立大は足切りで受けられず、足切りのない旧帝国大学の理系学部だけを受けて、撃沈しました。

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