「なんとしても狂歌本でヒットを生み出したい…」大河主人公・蔦屋重三郎が打って出た"賭け"
蔦屋が刊行した「狂歌絵本」でヒットを飛ばしたのは『吾妻曲狂歌文庫』です。同書は、天明6年(1786)に刊行されました。これは、同時代の狂歌師50人の絵(肖像)に狂歌を添えた彩色刷の絵本です。絵は北尾政演(山東京伝)が描きました。
そして、狂歌は、四方赤良(大田南畝)の筆で書き添えられたのです。同書の撰者は「宿屋飯盛」とありますが、これは狂歌師・石川雅望のこと。『吾妻曲狂歌文庫』に収載された絵を見ていると、百人一首の絵を思い出します。
同書に描かれた美麗な色彩の絵は、前述の鈴木春信作品を超えるという評価もあります。同書は、大型の美装本であったので、高価であったとのことですが、それでも人気が出て、重版となりました。
同書の出版は、重三郎にとって、1つの賭けだったのではないでしょうか。豪華な美装本を刊行したはいいが、売れなければ、目も当てられません。狂歌愛好者が増えていたことも、売れた1つの要因かもしれません。
それにしても、何が売れて、何が売れないかは分からぬものです。現代の出版界においても(これは、それほど売れないだろうな)と思って刊行したお堅い本が爆発的ヒットを飛ばすこともあります。
吾妻曲狂歌文庫のヒットに気をよくした重三郎
それはさておき、『吾妻曲狂歌文庫』の売れ行きに気をよくした重三郎は、同書刊行の翌年(1787年)に『古今狂歌袋』を出版します。『吾妻曲狂歌文庫』では、50人の狂歌師が描かれましたが、『古今狂歌袋』はその倍(100人)の狂歌師を収録。形式も『吾妻曲狂歌文庫』に似ていることから、これは正しく「二匹目のどじょうを狙った」ものでしょう。
『古今狂歌袋』もよく売れたようですので、重三郎の狙いは当たります。前述したように「焼き直し」というと、今ではあまりいいイメージはないかもしれませんが、新たなテーマや清新な技法を組み合わせることによって、人気を博する芸術作品を創造することができるのです。
(主要参考引用文献一覧)
・松木寛『蔦屋重三郎』(講談社、2002)
・鈴木俊幸『蔦屋重三郎』(平凡社、2024)
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