フランスによる「欧州の核の傘」創設・マクロン大統領にその資格はあるか、マクロンはド・ゴールになれないこれだけの理由
クレマンソーは首相として、大量の死者を出した戦争で疲弊していくフランスを見ながら、あえて降伏を拒否し、最後まで戦いぬくことを国民に呼びかけた。

「われわれがみなさんに求める信任が、皆さん自身に対する信頼の証し、われわれをフランス人となさしめた歴史的支援への誘いとなることを望みます。フランスはかつて、これほど明確に人類の良心に奉仕するために、理想の中に生き、成長する必要を感じたことはありません。そしてフランスの市民の間に、自由になることのできる諸国民の間に、法をさらに強固に打ち立てることの決意とともにあります。正義にかなうために勝利する。これが開戦以来の内閣のスローガンです。この公明正大なスローガンをわれわれも引き継ぐものです」(同書、461ページ)
クレマンソーは左派からも右派からも疎まれた人物だが、こと信念を曲げないという点では一貫していた。パリ・コミューンでのモンマルトル区長を皮切りに生涯政治の世界で自らの決意を貫き通した人物だといえる。
マクロンの歴史に対する自意識過剰
この彼の演説には、フランスという国家の人類の歴史に対する使命感が満ちあふれている。もちろんそれは西欧がつくりあげた法と秩序にすぎない。
しかし、それを人類全体の正義だと信じ、フランス人がそれを体現し、人類の秩序を破壊するドイツ軍への果敢な戦いを国民に挑むよう鼓舞しているのである。この言葉は、なるほどマクロンが国民に告げた言葉と相通ずるところがある。
しかしながら、ド・ゴールとクレマンソーの敵は、ともにロシアではなくドイツだった。しかも、ともにフランス全土に侵略してきたドイツ軍との戦いに対して発せられたのである。第1次、第2次の両大戦ともに、それは世界の危機であった。2人が戦ったのは、確かに世界の危機であったといえる。
もちろん、ド・ゴールが語るように、国民国家のために大勢の死者を出すことが果たしてよかったのかという点には、今でも議論の余地はある。あくまで勝利の後につくられた国民国家の物語なのだ。
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