フランスによる「欧州の核の傘」創設・マクロン大統領にその資格はあるか、マクロンはド・ゴールになれないこれだけの理由

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この2人は、敗北に直面するフランスは徹底抗戦すべきだと主張し、フランスを救ったといわれる人物である。

マクロンも当然、2人を意識していたと思われる。ことを進めるに当たって、昔の英雄を過去から現在に呼び覚まし、それによって国民を焚きつけるのは、政治演説の常套手段である。

クレマンソーとド・ゴールがいかにフランス共和主義の英雄として位置づけられているかは、フランスの空母2隻にその名が付けられていることからもわかる。

ド・ゴールとクレマンソーが英雄である理由

かつて『頭上の脅威』(1965年公開)という映画の舞台ともなり、すでに老朽化して廃船となったが、1960年代のフランスが誇る空母の名前はクレマンソーであった。そして2つしかなかった空母のもう1隻が、フランスが誇る原子力空母シャルル・ド・ゴールである。

クレマンソーとド・ゴールは、フランスが祖国愛を語る際につねに持ち出される物語の主役だ。それは、この2人こそ、祖国フランスを救った人物だとされているからだ。

フランスの政治学者ミシェル・ヴィノックが現した2冊の書物が日本で翻訳が出版されている。『クレマンソー』(作品社、2023年)と『シャルル・ド・ゴール歴史を見つめた反逆者』(作品社、2021年、訳者はともに大嶋厚氏)だ。

2人の人物は、現実よりも理想に生きた政治家として描かれている。愛国心や祖国、そして民主主義と自由という標語は、あくまで理想である。それを追い求めた2人は、フランスに偉大な足跡を残したというのだ。

ド・ゴールは第2次世界大戦中、イギリスやナチスドイツと妥協してヴィシー政権の首席を務めたフィリップ・ペタン元帥(1856~1951年)とは違って、祖国の解放を決意した。

そのド・ゴールは、第1次世界大戦で最後まで戦い抜いた当時の首相クレマンソーに倣って自らを奮い立たせたというのだ。戦後、ド・ゴールはフランスの片田舎にクレマンソーが眠る墓所を訪れ、こう述べたという。

〈ド・ゴール将軍は、ヴァンデにある彼のささやかな墓所の前で改めて敬意を表した。「クレマンソー総理! 敵が祖国を蹂躙している間、われわれはあなたを模範とするとの誓いを立てました。この誓いが守られたかどうか、それは歴史が判断するでしょう。しかし、われわれは勝利を得たならば、あなたが授けてくれた教訓に感謝を述べようとも約束していました。この約束を、ヴァンデのあなたの墓の上で、こうして果たすことができたのです」〉(『クレマンソー』大嶋厚訳、作品社、2023年、15ページ)

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