フランスによる「欧州の核の傘」創設・マクロン大統領にその資格はあるか、マクロンはド・ゴールになれないこれだけの理由
クリミア戦争は、イギリスとフランスの被害妄想的恐怖心から生まれ、両国はロシアのクリミア半島へ攻め込んだのである。しかし、ロシアは英仏に攻め込むことはなかった。
強迫神経症ともいえるイギリス・フランスの過敏さは、ロシアの後は中東、アフリカ、アジアへの相次ぐ侵略において発揮される。
1853年に日本を開国させたものの、中国を半植民地化してアジア・アフリカを植民地化したのもロシアの南下を恐れてのことであり、ロシアの脅威という口実の下、アジアは両国に隷属化していくのだ。
西欧の過敏・過激な反応
ウクライナ戦争に関しても、冷静に事態を見ると過激な反応をしたのは、ロシアではなく、むしろ西欧であったことがわかる。マクロンは「ロシアがつねにうそをついてきた」と主張するが、ロシアが要求した東欧地域の中立をことごとく破り、この地域をNATO(北大西洋条約機構)とEUに加盟させていったのは西欧側であることは歴史が証明している。
2008年以降、ロシアが懸念したウクライナ、ジョージアへのNATO拡大を模索したのも、西欧だった。「ロシアのプロパガンダにだまされている」とさかんにマクロンは述べるが、フランス側の大手メディアがうそをついてないとなぜ言えるのだろうか。
しっかりと事実を見定めることが重要である。大本営発表がうそであったことを日本国民が知ったのは、戦争が終わった後だったのだ。とりわけ今の戦況について、もはやウクライナの勝利報道など流すことはできまい。
マクロンの演説を聞いて、フランスでは第2次世界大戦のシャルル・ド・ゴール(1890~1970年、後の大統領)と第1次世界大戦のジョルジュ・クレマンソー(1841~1929年、首相)の話が、その引き合いに出されていた。
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