フランスによる「欧州の核の傘」創設・マクロン大統領にその資格はあるか、マクロンはド・ゴールになれないこれだけの理由

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注目すべきは、フランスのウクライナへの軍事支援とEUの核武装であり、独裁者プーチンの下でのロシアとの停戦の拒否であった。ロシア側の発言はすべてうそに満ちているというマクロンの主張は、いささか事実をねじ曲げた、やや牽強付会な表現だ。

しかし、こうした事実を否定してまでも残る、マクロンのロシア嫌いという西欧に続いてきた通奏低音がここから聞こえてくる。

「ロシア嫌い」という通奏低音

西欧にある「ロシア嫌い」「反ロシア主義」についてさかのぼると、その始まりは19世紀のクリミア戦争(1853~1856年)にある。ロシアとオスマン帝国との戦いに、オスマン帝国を支援するフランスとイギリスが参戦した。

この当時、西欧に蔓延した「ロシア嫌い」は、イギリスのアッカートなどの一部の狂信者よる影響が大きかったが、その影響を真に受けたマルクスでさえも1853年、クリミア戦争が始まる直前に、まさに次のように当時のアメリカの新聞『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』に書いている。

「少なくとも一つのことだけは明白でなければならない。それは、ヨーロッパをロシアに引き渡すものは証券業者や平和屋のブルジョアジーであり、そして政府内で彼らを代表しているものこそは寡頭制だということ、また、ツァーリの侵略に抵抗するためには、われわれは何よりも、まずこれらの下劣な、卑屈な、忌まわしい金の子牛の崇拝者どもの不名誉な帝国を打倒しなければならない」(マルクス「西欧諸国とトルコ」『マルクス=エンゲルス全集』大月書店、9巻、312ページ)

ロシア帝国は民主政治に敵対する国家であり、ロシアの西欧への侵略を是が非とも阻止しなければならないというマルクスの使命感は、マクロンの演説と類似している。ロシアを擁護する者はすべからく反民主主義者であり、金に目がくらんだ拝金主義者であるとさえ述べられている。

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