「NHK辞めた敏腕P」フジテレビに転職した"動機" NHKでは報道記者も経験、なぜ民放のドラマPに?
「そして、転職前までの4年間はNHKエンタープライズに出向して、比較的自由に自分の企画でドラマを作らせてもらいました。本当にその時々の上司に恵まれていたと思っています。
ただ、外部プロダクションとお仕事をさせていただいたり、WOWOWで『フェンス』を作ったりした経験から、もっとNHKの外の才能と仕事をしたいという想いが強くなっていきました。残りの30代、そしてこれからの40代は自分の企画で連ドラを数多く作っていきたいと思い、そうした自分の希望と合致したので、転職を決めました。
あとは子どもの頃からフジテレビのドラマを見て育ってきていることも大きかったです。山口雅俊プロデューサーの作品群の『きらきらひかる』『タブロイド』(ともに1998年)、『太陽は沈まない』(2000年)等の社会派ドラマを見ていましたし、坂元裕二さん脚本の『わたしたちの教科書』(2007年)や『それでも、生きてゆく』(2011年)も自分にとってバイブルのような作品です。
王道の社会派ドラマでは山崎豊子さん原作の『白い巨塔』(2003年)も高校時代に夢中になって見ていました。それにフジテレビはプロデューサーの色が出ている作品が多いのもいいなと思っていました」
――リメイクもされた『若者のすべて』(1966年)もかなり社会派ですよね。自分の色を出したものをやりたかったと伺うと、確かにNHKは公共放送だからか作り手の個性がやや抑えめかもしれません。
「倉本聰さんの『北の国から』シリーズに、山田太一さんの『早春スケッチブック』(1983年)、岡田惠和さんの『彼女たちの時代』(1999年)も学生時代に見たのですが、この業界を目指すきっかけになった作品たちです。そういう過去の作品群も好きだったし、人生はまだ長いので、フジテレビでドラマを作る機会を得られることは自分にとって幅が広がると思ったんです」
香取さんのおかげでロケも無事できた
――騒動の余波で、ロケの許可が降りなくなるのではとか、スポンサーが降りて制作費のメドが立たなくなるのでは、というような懸念も報道され、このドラマは大丈夫なのだろうかと思っていたのですが、ちゃんと11話まで続くと知ってホッとしています。
「会社からは当初の予定どおり作っていいと言われたので、キャストとスタッフみんなで一丸となって、少しでも上質な作品をお届けできるように頑張りました」
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