そして長崎の魚の町団地は「48型」である。最古の「47型」が現存しない以上、最古と言ってもよい古さだが、48型自体は全国14都市に合計約1700戸ほど建てられている。
現存しているのはそのうち5棟で、最古は1948年に竣工した静岡市営羽衣団地。魚の町団地の竣工は1949年なので、古さでいえば1年だけだが羽衣団地のほうが古いことになる。魚の町団地が最古とはいえないものの、ほぼ最古。ごく少ない物件のひとつなのだ。
ちなみに現存する48型の団地としては他に下関市営清和園住宅、広島市営平和アパート、福岡市店屋町アパートがあり、下関市、広島市には廃止、解体の案が出ているそうだ。
昔は超人気物件、カズオ・イシグロとの縁も
さて、その魚の町団地は4階建て全24戸。長崎市役所や観光地として名高い眼鏡橋にも近い市内中心部の、坂の多い長崎市では希少な平坦地に位置する。
同時期にもう1棟、中川町団地(現存せず)が建てられており、この2棟、約50戸の募集に対し、1000件以上の申し込みがあったと昭和24年7月9日の長崎民友新聞(現長崎新聞)は伝えている。超人気物件だったのだ。
また、中川町団地の隣、新中川町には2017年に『日の名残り』でノーベル賞を受賞したカズオ・イシグロが1954年から5歳で家族と渡英する1960年まで暮らしていた。

彼には終戦後の日本を舞台にした2作品があるが、それらにはいずれも団地の描写がある。それがどちらの団地だったかは定かではないが、彼にとって記憶に残る日本の風景のひとつに団地があったことは確かである。
こうした建物の歴史、過去の人気、そしてカズオ・イシグロとの関係などがあり、長崎県は団地の廃止後比較的早いうちから見学会などを始め、保存、活用を模索し始めた。
そこで関わりを持ったのが現在、魚の町団地の活用を担うココトト合同会社(以下ココトト)の代表者のひとり、長崎出身の伊東優さんだ。県の担当者と大学時代に縁があったことから建物を見に来ませんかと声を掛けられ、プロポーザル前のサウンディングにも参加した。
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