しまむら創業者「あえて60点主義」の深い意図 スタバやヤマト、名経営者たちの心に残る発言
・「自分しか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」(田辺茂一)
全国チェーンの大型書店として知られる紀伊國屋書店。創業者の田辺茂一は1905年、炭問屋「紀伊國屋」の跡取りとして東京の新宿に生まれた。慶応義塾高等部を卒業した田辺が、紀伊國屋書店を開業したのは、弱冠21歳のときだった。
創業時は、炭屋の片隅にひっそりとある小さな書店に過ぎなかったが、戦火による被害を乗り越え、1964年に今の新宿本店を建築した。さらに、5年後には最大の売り場面積を持つ書店として、大阪・梅田本店をオープン。広々としたワンフロアでの売り場作りは、大きな話題となった。
大型書店の仕掛け人・田辺の言葉がこれである。
「自分しか歩けない道を自分で探しながらマイペースで歩け」
他人と同じような成功を目指すから難しい。誰も歩かない道を見つけられたならば、あとは実行あるのみだ。
ヤマト2代目社長が宅急便を立ち上げた背景
・「鳥になったつもりで、高い所から鳥瞰してみたらどうだろう」(小倉昌男)
小倉昌男は、ヤマト運輸株式会社の経営者。父の康臣が30歳のときに現在のヤマト運輸にあたる大和運輸を起業したが、長男が早くに亡くなったため、次男の昌男がその後を継いだ。いわゆる2代目社長だが、その功績は創業者よりも大きい。
小倉は1971年、社長に就任した。だが、その2年後にオイルショックに襲われて経営が悪化。そこで、大口貨物ばかり扱う現状を打破するために、小倉は日本初の「宅急便」を立ち上げようと考えた。
だが、小倉のアイディアに、周囲は大反対。役員はもちろん、創業者の父までもが反対に回った。当時の運送業界では「小口荷物は集荷・配達に手間がかかり採算が合わない」というのが常識であり、家庭からいちいち集めて、小さな荷物を何度も運ぶなど間違いなく赤字になる、という意見が大半だった。
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