「母親は学校の成績がよかったそうですが、当時は裕福ではない家庭の女性が大学進学することへの理解を得るのが難しく、進学を断念した経緯がありました。そのため、お金がなくても子どもが大学に行くための教育資金だけは必ず貯めておこうと考えていたそうです。僕が何かをやりたいと言って、拒否されることは基本的にはありませんでした」
体を動かすことが好きだったよしのぶさんは、小学校の途中からサッカーチームに通わせてもらうようになり、高校までサッカーを続けます。勉強面では、塾に通ったり、自主的に勉強をしたりしているわけではありませんでしたが、ずっとよい成績をキープしていました。
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「通っていた公立中学校では、1位にはなれなかったものの、だいたい70人中2~3位くらいの成績を取れていました。授業を聞いていたらテストで満点を取れていたので、自分は勉強ができるんだと勘違いしてしまいました」
「今思えば、自分は体の発育が早かった」と勉強面と運動面で同級生よりそれなりにできた理由を分析するよしのぶさん。中学では生徒会長、サッカー部主将、応援団長など、やりたいことはすべてやり、学生時代を謳歌していました。
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周囲に高校の数が少なくて進学先が限られていたことから、地元の公立高校の普通科を受験し、余裕で合格したよしのぶさん。しかし、この高校進学を機に人生が大きく変わり始めます。
最初のテストで7位を獲得するが…
地元の公立高校に入ったよしのぶさんは、入学して最初の実力テストも学年300人中7位という好成績を記録します。しかし、中学時代と高校の授業のスタイルが変わったことに違和感を覚え、成績が落ち始めてしまいました。
「小・中学校は授業時間内で、生徒にわかるまで教えてくれるスタイルだったのですが、高校は予習してくることが前提の授業になったのです。今までと同じように勉強せずに学校に行くと、まだやったことがない問題を先生がひたすら板書して解説していました」
「数学はまったくわからなくなって、すでに転落の予兆が出ていました」と語るよしのぶさん。7位だった順位は、1学期末には2桁に落ちてしまいました。そして、その成績はさらに悪化し、3桁に突入する決定的なきっかけとなったのは、部活での事故でした。
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