絶滅危惧船「ホーバークラフト」大分で復活の理由 定期運航は世界で1カ所のみの"爆音"珍乗り物
だからこそ大分県は、約117億円という総事業費を費やしてでも、ホーバークラフトによる大分空港へのアクセス改善を図る必要があったのだ。なお、2023年に就任したばかりの佐藤樹一郎・大分県知事も、ホーバークラフト整備と大分空港の活用を公約として前面に打ち出していた。
ただ実は、大分市内~大分空港間は2009年までホーバークラフト航路が存在した。今回の航路開設は、運営は別会社ではあるものの、実質的に「16年ぶりの復活」だ。
ホーバークラフトはかつて日本国内の各地だけでなく、世界でも広範囲で就航していたため、一般的な知名度は未だに高い。かつてのホーバークラフト全盛期を知る方なら「今さら復活? 何で?」という方も多いだろう。「空港へのアクセスに難あり」「海上のショートカットが可能」といった好条件を備えていたはずの大分県で、なぜホーバークラフトは存続できなくなったのか。
また、フェリーを圧倒する高速航行で、「未来の船」として世界中で期待がかけられていたはずのホーバークラフトは、なぜ急速に衰退してしまったのか。まずは、旅客船としてのホーバークラフトの歴史から振り返ってみよう。
最初の就航地は「ドーバー海峡」
ホーバークラフトが旅客船として初めて就航したのは、1966年(英仏国境・ドーバー海峡)のこと。デンマーク・コペンハーゲン~スウェーデン・マルメ(エーレ海峡)などの国際航路を担うだけでなく、約260島からなる香港のエリア内移動の航路としても定着した。
日本でも、本州・四国を結ぶ「宇高航路」(岡山県・宇野港~香川県・高松港)、「日本ホーバーライン」(大阪南港~徳島港)、ほか石垣島~竹富島、能登半島などで就航。なかには伊勢湾のように、大手私鉄(名鉄・近鉄)系列の2社が、ホーバークラフト同士で熾烈な競争を繰り広げていた地域まである。
就航地の多くは、海を挟んだ中心都市(日本なら宇野~高松)間でフェリー・旅客船が頻繁に運航するような需要が、もともとあったような場所だ。ホーバークラフトは、これらの航路の「急行便」「快速便」として投入され、各地ともフェリー・旅客船の半分以下の所要時間で移動できるかわりに、強気な価格設定で収益を稼いでいた。
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