シリア・アサド政権「あっけない」崩壊の裏事情 弱まるイランの影響力、イスラエル一強の時代も

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一方で、別の勢力がイスラエルに近い態度をしてくれれば、アサド大統領に執着するわけではない。別の勢力がシリアを支配してもいい。

結局、イスラエルにとってはゴラン高原をイスラエルの領土として認め、国益を脅かさなければそれでいいとイスラエルは考えていると筆者は思っていた。

しかし、アサド政権崩壊と同時にイスラエル軍がシリア領土内14キロメートルまで侵攻したことで、このような考えは間違っているのかもしれないと思うようになった。

ゴラン高原をめぐる密約

ゴラン高原は1967年の第3次中東戦争、すなわち「6日間戦争」で、占領された。このとき、将校だったアサドが支援軍や物資をせき止め、ゴラン高原がイスラエルに完全に占領される前に、占領されたと発表した。

その後、アサドがシリア大統領になったので、大統領になるかわりにゴラン高原をイスラエルに渡すという密約があったのではないかといわれ、「売国奴」と呼ばれているのだ。

ゴラン高原は第4次中東戦争後の1974年に定められた合意により、イスラエルとシリア間に緩衝地帯を設けた。ここには国連の平和活動部隊として日本の自衛隊が派遣されていたこともあった。

それを2019年に当時のトランプ大統領が国連決議に反して、ゴラン高原をイスラエル領土とした。こうしてアメリカを除く国際社会の反対を押し切り、イスラエル領土に加えた。不法占領であるため、日本では「占領ゴラン高原」と報じられていたのだ。

今回、イスラエルはその「占領ゴラン高原」の14キロメートル先までのシリア領土を占領した。国連は抗議したが、「シリアの治安が不安定であり、暫定的な措置」と弁明しながらも、イスラエルのネタニエフ首相は「ゴランは永遠にイスラエルの一部だ」と述べた。

一方で、活動名として「ゴラン出身者」を名乗る前出HTSの指導者ジュラニは、このとき何をしていたか。実は、日没のお祈りをしてアッラーに感謝していた。

シリア軍と戦い、わずか10日間で首都ダマスカスまでもを支配した軍事力を持ちながら、何もしない。うがった見方をすると、イスラエルとHTSの間にはあらかじめ合意があったのではないかと思われるのだ。

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