セブン、苦戦報道で「不親切なレジ」批判沸騰の訳 「高齢者泣かせ」「冷たい接客」との声…一体なぜ?
ディストピア容器については、それが店側の業務を軽減し、ひいては「働き方改革」につながることから、非常に意義のある取り組みなのは間違いない。
しかし、日本に牛丼屋をはじめとするチェーンストア・ファーストフードが根付いてから50年ほどが経過し、そこは「ただモノを食べる空間」ではなく、「愛着を持った場所」になってきた。
人文地理学者のイーフー・トゥアンは、ある場所を捉えるとき、数字上のデータだけを見るのではなく、そこにまつわる人々の「情感」や「愛着」までをも捉えなければならない、という。まさに経営でも同じことが言えるだろう。(イーフー・トゥアン「空間の経験」/1993年・ちくま学芸文庫)
ある場所を人が使うのは、合理的な理由だけで片付けられるものではない。つまり「自動化」だけでは解決できない、もっと情緒的なものも絡んでくる(まさに「人の手」だ)。それを踏まえた施策が求められているのではないか。ディストピア容器の件はこれを端的に表している。そして、それはセブンの半有人レジでも同じだ。
ファンの心を繋ぎ止めつつ、合理化を進められるか?
冒頭で示した通り、セブン苦境の原因は北米事業の躓きにあり、こうしたレジの問題は直接の原因ではない。しかし、重要なのは、そこに使いにくさや「人の温かみがない」と感じる人々がいること。
ただ、現在はDX化への変化の途中で日本全体の人口も減少している。過剰なサービスをし続けることは難しくなるし、一歩間違えばそんな要求は「カスハラ」案件にさえなりかねない。「温かみを」といったところで、物理的にそれが不可能になる時代が到来するかもしれない。それに、高齢者も徐々にセルフレジの方式に慣れていくのは間違いない。
そんな中、企業として、どのように「合理化」と「人の手」のバランスを取っていくのかが問われているのだろう。
逆に、今回のセブンのレジに対する反応をみていると、その「合理化」と「人の手」のバランスを取るのに失敗してしまったのかも?とも思えてくるのだ。
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