資本主義は今、曲がり角に来ているのか? エシックス(倫理)と資本主義を考える(1)
彼らのストーリーは、自然は共有財で、そこにある生態系は誰も管理できないし、すべきでもない。あるいは、ただ私たちに与えられているだけで、資本主義の過剰生産に脅かされている、というものですよね。そこでは自然を人間社会と対立させていますが、それは実際の生命科学の知識とほど遠いものです。
共産主義は危機対応に強いわけではない
ガブリエル:マルクスが社会主義思想に関する論文を書き始めたのは、ダーウィンの時代ですが、私たちの科学知識は当時をはるかに超えています。
微生物学革命や地球システム科学、その他の生命科学のおかげで、自然は人間と別物だとするのは誤りだとわかっています。資本主義を再び弱体化させる共産主義的な戦略は時代錯誤で、現代の科学的知識の水準に達していません。
もちろん、共有財は存在しますが、それは共有物です。たとえば、資本主義はつねに法的、政治的な条件下でのみ展開されてきました。私有財産は社会的なもので、人がいろいろ交渉した結果であり、だからこそ保護されなければならない。
それとまったく同じ意味で、自然は長い間、人間社会の一部でした。アマゾンの先住民たちも、近代国家においても、私たち人間が海、海底、森林などを当たり前に所有してきました。
私たちが今目にしている生態系の危機は、人間が住む領域外における啓示ではなく、隠れたエージェント(行為主体)が存在しています。自由民主主義の立場から私たちがすべきなのは、共有財の概念を見直すこと。何を所有してはいけないかではなく、何を所有すべきかを考えることです。
名和:なるほど。自然や共有財を社会環境から分けて、孤島のように捉えるのではなく、人間も含めて、広大なシステムの中で捉え直す、ということですね。
ガブリエル:そうです。自由民主主義国と比べて、中国をはじめとする社会主義国や共産主義国のほうが、生態系の破壊は深刻です。自由民主主義国家は、生態系の危機を本気で解決しようとしていないにせよ、科学の知見を利用するので、危機対応に長けています。科学技術は自由民主主義の発展においてきわめて重要です。