資本主義は今、曲がり角に来ているのか? エシックス(倫理)と資本主義を考える(1)
共産主義では、科学技術は道具にすぎず、真実そのものに関心を向けません。すべて政治的なものとして捉えるからです。自由民主主義では、科学と技術は現実を見つめ、社会に取り入れるための手段であり、時には誤っていることもあると考えます。ですから、共産主義のほうが自然認識に秀でているというのは間違いで、まさに自然に対する支配関係の縮図です。
自由主義と社会主義は両立するのか?
名和:社会自由主義や社会民主主義という考え方もあります。たとえば、デンマークなどの北欧諸国は社会主義なのか、それとも、自由主義でしょうか。
ガブリエル:自由主義と社会民主主義は完全に両立できると思っています。日本もそうですが、どの自由主義の社会経済においても、社会主義は実現していると思います。19世紀の社会主義の考え方は労働者の権利を認め、資本主義の破壊的な力を安定させるために法律が必要だとするものでしたが、実際にそうなっています。
したがって、私は社会主義と自由主義を明確に区別するつもりはないですし、どちらも自由民主主義の中で融合していると考えています。自由民主主義における社会主義は民主主義から生じたものです。自由主義の要素である自由市場と自由契約が融合したハイブリッドなシステムの中で私たちは生きています。
それに対する唯一の急進的な代替案は、リバタリアニズム(自由至上主義)か、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領などが「無政府資本主義」と呼ぶものかもしれません。ただ、これらも矛盾しています。
無政府資本主義は、自由放任主義(レッセフェール)と呼ばれることもありますが、私有財産がなくても資本主義が成り立つというのは幻想です。ミレイ大統領は資本主義者などではなく、ただの極右マフィア思想家だと思います。
リバタリアニズムの矛盾は、安全保障などを民営化する必要があることです。麻薬王のパブロ・エスコバルや、ラテンアメリカの富裕層の多くは私設軍隊を持っていますが、それではマフィア国家になるだけです。したがって、自由主義と自由至上主義は明確に区別する必要があります。
(翻訳・構成:渡部典子)
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