観光産業の「稼ぐ力」を磨くための3つの要件は? アフターコロナ時代に不可欠な「観光の新生」
本格的な回復軌道に乗った日本の観光需要
コロナ禍で深刻な打撃を受けた世界の観光市場に、明るい兆しが見えています。国連世界観光機関(UN Tourism)によれば、2023年の国際観光客到着数はコロナ禍前の水準の88%に達する13億人と推定されています。2024年末までには、国際観光はコロナ禍前の数値まで回復する見込みであるとのことです※1。
こうした中、日本の観光需要も回復傾向が鮮明です。とくに訪日外国人旅行者(インバウンド)の増加は顕著で、日本政府観光局(JNTO)によれば、2023年の年間インバウンド数は推計値で約2500万人となりました。2023年4月の水際措置撤廃以降、インバウンド数は右肩上がりで急回復を遂げ、単月では同年10月に初めてコロナ禍前の2019年同月比で100%を超え、年間累計では2019年比78.6%と8割程度まで回復が進みました※2。
世界の旅行者が訪れたい国として、日本の人気は高いと思います。世界経済フォーラム(WEF)が発表した2021年の旅行・観光開発力ランキングで、日本は初めて首位を獲得しました。観光インフラの充実度や観光資源の豊富さ、治安がよく安心・安全な旅行が可能なことなどが高く評価されたようです。
このように、日本の観光の成長力が潜在的に高いのは間違いありません。しかし今後、インバウンド消費の復活という追い風を存分に生かして、日本の観光産業が持続的な成長軌道を描けるかというと、必ずしもそうとはいえないでしょう。コロナ禍以前から指摘されていたさまざまな構造的な課題が、ほぼ手つかずのまま残っているからです。
実は日本の観光消費額のピークは、インバウンドの恩恵がほとんどなかった2003年でした。それからは旅行者数、旅行回数、旅行消費額はいずれも低下が続き、抜本的な改革の必要性が叫ばれていました。しかしその後、インバウンド需要が急拡大したおかげで、業況が大幅に好転し、観光産業は改革のチャンスを逃したのです。結果として、労働生産性や賃金水準の低さ、慢性的な人材不足、デジタル化の遅れといった構造的な課題が解消されないまま、現在に至っています。
産業としての「稼ぐ力」も脆弱です。観光産業の付加価値を示す「観光GDP」が国全体のGDPに占める割合を見ると、日本は2.0%(2019年)と、スペイン(7.3%)、イタリア(6.2%)、フランス(5.3%)などと比べて大幅に低くなっています(図1)。
「稼ぐ力」が弱いということは、日本の優れた観光資源や「おもてなし」に象徴されるホスピタリティーなどが、十分に価値化されていないことを意味します。「観光白書令和5年版」でも指摘されているように、観光産業は裾野が広く、成長戦略の柱、地域活性化の切り札として期待されています。今後は官民一体で付加価値額を増やし、日本の観光を「稼げる産業」へと構造転換させていくことが不可欠です。MRIではこの構造転換を「観光の新生」と呼んでいます。
「稼ぐ力」を磨く要件その1:「デジタル化」で顧客ニーズを把握する
日本の観光産業の「稼ぐ力」を磨くには何が必要でしょうか。ここではとくに重要と考えられる3つの要件を取り上げます。なお、観光の新生のためには、ここに挙げた要件を満たす取り組みと並行して、人材の確保・定着やプライシングの適正化(適切な付加価値・利益を確保できる価格設定)を進める必要があります。
第1に挙げられるのが「デジタル化」です。これは効率化・省力化に貢献するだけでなく、日本の観光に「マーケティング」の視点を着実に取り入れていくうえでも不可欠です。
マーケティングの目的の一つは、顧客ニーズの把握です。しかし観光産業の場合、事業者と顧客との距離が物理的に離れているだけでなく、顧客一人ひとりが観光サービスを利用する頻度も、ほかのサービス業に比べれば圧倒的に低いため、ニーズ把握が困難とされてきました。宿泊者名簿の作成が義務づけられている旅館・ホテルなどの宿泊施設ですら、顧客情報をデータベース化したり、そこから顧客ニーズを読み取ってサービス開発に生かしたりするといった取り組みは、あまり見られなかったのです。
逆にいえば、これまでマーケティングを十分にしてこなかっただけに、デジタル化によって最小限の顧客情報の蓄積と活用を図るだけでも、大きな成果が期待できます。実際にデータを活用したマーケティングを観光の高付加価値化につなげた成功事例もいくつかあります。
例えば近畿地方のある温泉では、観光地域づくり法人(DMO)と地元若手経営者の連携により、宿泊施設から宿泊情報などを月単位で集約する独自の観光DX基盤を構築しました。これを使って顧客分析に取り組むと同時に、リピート客の獲得のためにメールマーケティングを展開した結果、宿泊単価をコロナ禍以前よりも大幅に高めることに成功したのです。
また東北地方のある自治体はマーケティングデータの収集・分析ツールとして、独自のポイントカードシステムを開発しました。地元商店などとの連携により、収集した宿泊施設データや地域消費額を誘客や観光商品開発のためのマーケティングに活用したことで、コロナ禍で人の移動が制約される中でも大きな成果を上げたのです。さらにマイクロツーリズム(近隣観光)に注力することを決め、近隣客ニーズが見込める高価格の食体験観光コンテンツを提供することで、観光需要の早期回復を成し遂げています。
要件その2:観光事業者の「集約化」を図る
「稼ぐ力」を磨くための第2の要件として挙げられるのが、観光事業者の「集約化」です。
日本の観光事業者の大半は小規模事業者であり、家族経営で営まれている宿泊施設がほとんどです。ちなみに宿泊分野について、日本と同程度の観光市場規模(年間20兆〜30兆円)であるスペインやイタリアは、宿泊業の従業員数は40万〜50万人と同程度ですが、宿泊施設数は日本が圧倒的に多くなっています(図2)。つまり、1施設当たりの従業員数が日本は明らかに少ないのです。
経営規模が小さいことが必ずしも悪いわけではないものの、デジタル化のための投資余力などが限定的になることは否めません。先ほど紹介した、デジタル化に成功した温泉や自治体などでも、通信手段が電話とファクシミリに限られるため、顧客データをタイムリーに共有できないという宿泊施設が見られました。マーケティングデータを活用して「稼ぐ力」を高めていくうえでも、事業者をある程度集約化し、一定の経営規模を確保していくことは重要といえます。
長い歴史を有する地元の観光事業者を集約していくのは、もちろん容易ではありません。成功例として、北関東のある温泉地で、経営者が高齢化し後継者候補も見つからず悩んでいる宿泊施設を、地元の有力な宿泊施設が買収するといった形で集約化が進んだケースがあります。同じ温泉地に複数の旅館があれば、一方は食事を重視した高級路線の旅館とし、もう一方は素泊まりで価格を抑えた若者向けの旅館にする、といった工夫も可能になるでしょう。
また、九州のある温泉地のケースでは、地元の事業者の経営事情に詳しい地域金融機関の後押しによって、廃業した旅館や土産物店を、営業を継続する宿泊事業者が引き取るという、観光の付加価値を高めるような集約化が実現しました。今後、ほかの地域でも、自治体だけでなく地域金融機関が集約を加速させる役割を果たしていくかもしれません。
要件その3:「サステイナブル(持続可能性)志向」に対応する
第3に、世界的にSDGsの機運が高まる中で、近年は観光においても経済的側面だけでなく、社会・文化面、環境面に配慮することが求められています。とくに欧州の取り組みは先行しており、すでに旅行会社や宿泊施設を対象とする国際規格や認証制度が複数存在し、事業者の認証取得が進んでいる状態です。
他方で、日本の観光産業はこうした認証取得も含め、サステイナブル志向への対応が遅れています。今後は、認証を取得していない日本の宿泊施設が海外の旅行会社から選ばれないといった事態も出てくると予想されるのです。海外の認証機関からトレーナー資格を認定された人材が日本にもいますが、まだごくわずかにすぎません。このようなトレーナーをはじめ、観光のサステイナブル対応を推進できる人材を、早急に育成していくことが必要とされています。
一般に、日本の生活者(旅行者)の環境意識やSDGsへの関心は決して低くありません。しかしながら、誰もが旅行先でもつねにサステイナビリティを重視した行動をとっているかといえば、現状としてはそうとはいえないと思われます。その意味で、観光産業と旅行者の双方に対してサステイナブル志向への理解を促進するような政策も求められていくでしょう。
「観光の新生」は地域産業を再生に導く突破口
ここまで、日本の観光産業の課題と「稼ぐ力」を高めるための要件を見てきました。労働生産性の低さや慢性的な人材不足、デジタル化の遅れなどは観光産業だけが抱える問題ではなく、日本の地域産業の共通課題といってよいものです。「稼ぐ力が弱い」という点も、優れた技術をもちながら、下請け構造の中で価格転嫁できていない中小製造業の悩みと類似しています。すなわち観光産業の現状は、日本の地域産業の縮図と捉えることも可能です。
しかしながら私たちは、日本の観光産業の未来は明るいと考えています。インバウンド消費という追い風を契機に思い切った改革を断行すれば、大きく飛躍できる可能性を秘めているからです。「稼ぐ力」を鍛え直し、産業としての活力を取り戻し、長期低迷から脱却していく。そうなれば、苦境が続くほかの地域産業にも大いに刺激を与えることでしょう。「観光の新生」は、日本の地域産業が新たな成長軌道への一歩を踏み出す突破口になると考えられるのです。
社会インフラ事業本部 観光立国実現支援チームリーダー/主席研究員
1992年東京工業大学大学院社会開発工学専攻修士課程修了後、三菱総合研究所(MRI)入社。2008年より観光立国実現支援チームリーダー。「観光に科学を」をモットーに、国内外観光市場マーケティング調査・計画・施策立案等の受託事業の実績多数。
●関連ページ
「観光資源」のフル活用で導く地域活性化・前編 インバウンドで地域のホテルや旅館が稼ぐには
「観光資源」のフル活用で導く地域活性化・後編 「食」だけでない、観光コンテンツのあり方は
※このページは、『フロネシス24号 未来社会への新胎動』(東洋経済新報社刊)に収録したものを再構成したものです。